4.扇町創造村(仮称)立ち上げとプロモーション
「扇町創造村(仮称)」の意義は、現在すでに存在している多様な動きに総括的な名称を与え、それら活動に統一した意味を与えることにある。そうすることにより、この地で活躍する多様な創造人たちが自分たちを再発見し、この町に関わる人々が自分たちの町を再発見することができる。こうした雰囲気が生まれれば、おのずと先端的な創造活動が強化され、外部からの注目度が向上し、仕事機会の発生などよい循環が形成されていく。
扇町創造村の運動には、具体的な建物とか、公的な組織とかはかならずしも必要がない。重要なのは、むしろ、この運動の意義を理解し、多くの関係者が扇町創造村を真に新しい創造活動が展開される街となるよう、あらゆる機会にこの地域をプロモートすることであろう。
以下では、いくつかのフェーズに分けて、この運動を展開していく道筋を概観する。これはあくまでも、現在、想定可能な道筋であり、今後の展開によってはその重点や目指すべき方向は当然変わってこなければならないものである。
(1)理解と認知のフェーズ
扇町創造村構想は、地域ぐるみのインキュベータという新しい概念を提唱するものであり、その意義・目的・可能性などについて、社会の理解を得ることが第1の重要ステップとなる。
(1)運動の意義付けのフェーズ
大阪・関西の持続的発展のために、この運動がもつ重要な意義を理解し、共通利益のために協力しあう機運を醸成する。そのため、以下のような具体的な取り組みを行なう。
1)少人数のグループで、運動の骨格・目標・使命などについて大枠を確認する。
2)芸術村運動の意義を理解してもらうため、冊子等を編集・発行する。
3)芸術村運動の担い手となる各分野の指導的人物に、この運動の意義と必要性を説明し参加を呼びかける。
4)新聞記者・雑誌編集者・テレビティレクタなどに対し、運動の意義と可能性について説明し、理解を得る。
このフェーズにおいては、宝塚造形芸術大学専門職大学院デザイン経営研究科や大阪市立大学大学院創造都市研究科など、地域内にサテライトをもち、扇町創造村運動の意義と重要性を理解している高等教育機関などが中心になり、現在の状況を調査し、その経済的・社会的意義などを整理して、ひろい範囲の人々に理解を求めることが望ましい。
また、メビック扇町など、現実にインキュベーションを行っている機関から問題点などを聴取し、今後の連携方法などを探る。
(2)運動を認知してもらうフェーズ
北区東部にあたる扇町創造村想定地域において、創造者を含む広範なひとびとに、自分たちの住み、勤務する地域が創造活動の活発な地域であり、ここから全国に発信すべき新しい動きのある地域であることを認識してもらう。そのためには以下のような取り組みが必要となる。
1)自然発生的に行なわれている創造活動を地域の内外に紹介していく。
2)扇町創造村の名前を冠したイベントを企画する。
3)地域内で開催されるさまざまな活動・イベントに「扇町創造村」のロゴをつけてもらうよう呼びかける。
4)新聞などで個々のイベント・活動を紹介してもらう。
5)雑誌などで扇町創造村の特集を組んでもらう。
このような取り組みを効果的に行なうため、クリエータ、ジャーナリスト、運動支援者、協賛者などからなるネットワークを組織する必要がある。
この組織は、運動の基本精神やロゴの制定を行い、個々のイベント・活動をプロモートすることに努める。クリエータやアーティストたちがこの運動に注目し、この運動の浸透が自分たちの活動の機会を拡大するものであることを理解してもらう。
(2)新しい傾向創出のフェーズ
扇町創造村運動は、たんに地域の芸術活動を盛んにし、市民の鑑賞機会を増大するためのものではない。この運動の目指すものは、あくまでも扇町を中心とする地域に新しい創造活動を起し、それがこの地域に需要を呼び込み、創造活動を職業として生きていくことのできる基盤を形成することである。そのためには、この地域が世界の中で新しい芸術様式や傾向などを生み出し、深化させることのできる地域としなければならない。それに必要な情報回路を構築し、創造者・需要者・批評家という3者の濃密な緊張関係を作りだす必要がある。そのため、以下のような取り組みを試みる。
(1)「芸術と経済接合」シンポジウム
芸術活動・創造活動が将来の産業として重要なものであることを広く社会に知ってもらうため、経済界のオピニオン・リーダと芸術活動のオピニオンオン・リーダとの対話と討論の機会を創出する。
関西には、優れたオピニオン・リーダがそろっており、企画のあり方によっては、関西域外からも注目を集めるものとすることが可能である。たとえば、以下のような組み合わせが考えられる。
1)大植英二(大阪フィル指揮者)と津田和明(サントリー相談役)
2)安藤忠男(建築家)と寺田千代乃(アートコーポレーション社長)
(2)「境界を越える」シンポジウム
表現様式・立場・主張を超えて、気鋭の人材による相互討論。いま、創造者はなにを考えて表現にとりくんでいるか。表現は、現代社会になを意味するのか。新しい議題を提起し、先端の思想の交流を試みる。
創造者・編集者・批評家・需要家など多様な組あわせを多様な形で展開する。このシンポジウムは、創造者と需要家、創造者と批評家、需要家と一般市民などを結び合わせることにより、その相互作用の中から新しい傾向を発見・強化していくことを目指す。
そのためには、創造者とその批評家、また作品を享受するひとたちのあいだに短く速く回転する循環を形成することが必要である。芸術村の住人たちが新しい作品・新しい創作者をつねに話題に載せる習慣を形成する一助とする。
(3)扇町創造村まつり
一定期間を設定して、各所でミニ展覧会、実演、ライブ、トークセッション、哲学カフェ、展示即売会、路上パフォーマンスなど多彩に展開する。これは「扇町創造村まつり」と銘打ってあれば、公序良俗に反しない限り、また他の支弁との迷惑にならないかぎり、どんなものでも認められる。まつり実行委員会は、まつりを全体としてもりあげ、登録されたイベントを周知するが、個々のイベント等は個々の組織者の独立採算とする。
(4)テレビなどでの放送
上記のシンポジウム、芸術村まつりのイベントなどは、新聞や雑誌で紹介するほか、テレビなどで放送されるもとすることが望ましい。
媒体はかならずしも地上波テレビである必要はなく、CATVなどでもよい。CATVでも、固定した視聴者を確保することができれば、地域の政策課題について、つねに議論できる場を作りだすことができ、地域の議題設定能力の向上に有力な媒体となる。テレビ100チャンネル時代には、このような顧客獲得は、コンテンツ制作の領域を拡大する効果をももつ。
(5)エディターズ・ハウス
市ないし府の施策として、芸術村の中にエディターズ・ハウスを建設する。これは、低層階に出版社用事務所、高層階に社長用の住宅をセットで作り低家賃で貸し出すもので、借用期間は長く10年程度とする。50社程度が入居できる規模のものであることが望ましい。とくに各種ジャンルの雑誌やメールマガジンの発行会社が入ることになれば、競争と協力による集積の効果がでると期待される。
入居資格としては、古典的な出版社のほか、音楽CDやDVDの編集会社やディジタル美術出版などでもよい。
現在、北区内にもいつくかの小学校が廃校になっている。そのうちの一校の用地をこのような用途に活用すれば、大阪の弱い出版機能が強化されるばかりか、この地域の多様な芸術活動・創造活動をひろく紹介する役割が強化される。編集者は、新しい話題・議題のよき提案者であり、人材の発掘者でもある。人口に占める編集者の比率が大阪は東京に比べて極端に少ないと考えられ、これが大阪から人材を世に送り出せない原因の一つともなっている。東京都区内に事務所を構えるには、家賃だけでもかなりの必要が掛かる。エディターズ・ハウスを建設して、低賃金で貸すことにすれば、東京から移転する編集者も出でくると考えられる。
このような施設の建設に掛かる費用は、廃校などを利用すれば、大きな橋を掛けたり、道路工事をしたりするのに比べてはるかに低い費用で、大阪が必要とする産業転換を助けることができる。
(3)大阪から世界に発信するフェーズ
扇町創造村が社会的に認知され、創造者たちがその村の一員であることに誇りをもつようになれば、ここにおける創造活動・芸術活動は、日本全国はもちろん、アジアや世界の各地から注目されるようになる。そうなれば、遠くからの集客も可能になり、北区の居住人口10万人だけではなく、全国・世界からひとを集められる街として、多様な店舗・サービスが可能になる。
(1)ファッション・ストリートの創造
アメリカ村は、ローティーンの憧れの街として全国的な注目を集めている。しかし、ハイティーン以上の多様な人口にとって、大阪市内には注目すべきファッションの街をもっていない。扇町創造村が全国の注目を集めることになれば、特色ある芸術活動の展開される街として、とうぜんそこに住み、働く人々の衣装やライフ・スタイルにも関心が高まる。たとえば、現在の梅田から茶屋町へいたる南北の動線は、現在でもある種の先端性をもっている。ここをもうすこし特色あるファッション・ストリートとするよう、各店舗が共通のターゲットとテーマ性をもって商品の取り揃えをおこなう。
中津・茶屋町から中崎町・天神橋にいたる東西の動線を新しいライフスタイルを提案するような町として仕立て上げることも考えられる。
(2)観劇とライブの街
北ヤードのすぐ隣の茶屋町界隈には、現在も、おおく劇場・ライブハウスなどが立地している。残念ながら芸術村内には、フェニックスホールを除くと、クラシックの演奏に適したホールが少ないが、他の多様な舞台芸術には対応できる蓄積をもっている。
茶屋町周辺にさらなる劇場・ライブハウス・音楽ホールなどを誘致し、ここを大阪におけるブロードウェイとする。演劇や音楽を楽しむだけでなく、それらを楽しんだあと、よる遅くまで食事をしながら会話を楽しめるようにする。御堂筋の運転時間を深夜2時まで延長するなどのことが実現すれば、大阪の夜の楽しみ方は大きく変わると考えられる。
(3)楽しい食事の街
扇町公園から源八橋にいたるとおり(通称「帝国通り」)は、帝国ホテルの開設以来、人の動き方が変わり街としても、大きな変化を遂げた。かつては、コンビにしかなかった通りに現在では、韓国系レストラン・飲み屋を中心として、イタリア料理・フランス料理・中華料理など、多様なレストランが立地するようになっている。
このような変化は、芸術村の各地で見られる。たとえば、中崎町には、大通りから離れた路地にフランス人シェフの経営するレストランができている。自動車の交通の激しい谷町筋を一本西に入った浮田町と浪花町を分ける南北の通りにも、最近はネパール料理店などいろいろなレストランが並びはじめている。
食事は、生きていく上でどうしても取らなければならない時間であるとともに、家族やや友人とともに会食すれば楽しい会話の弾む時間でもある。今後、時間の余裕が増えれば増えるほど、楽しい外食の需要が増えるであろう。食はひとつの表現と考えれば、瞬間消費型の芸術の一種であり、扇町創造村にこのような通りが増えることは、芸術村の雰囲気を盛り立てるためにも好ましいことである。
(4)歩いて回れるブランド・ショップ街
日本では、有力ホテルがホテル内に有名ブランドを囲い込む習慣があり、そのため街中にブランド・ショップが並びにくい傾向がある。しかし、中央区の長堀通りや北鰻谷通りには、有名ブランドショップが集積するようになった。その理由はよく分からないが、いくつものホテルに小さな店をおくより、大阪に一つ有力店を作る方が出店側にはメリットが大きいという事情があろう。大阪北区には、まだそのようなスポットは存在なしいが、一流ホテルの立地数は、中央区より北区の方が多い。きっかけがあれば北区にも、長堀のようなブランドショップの集積が可能になるかもれしない。
(5)作品や原画の町・創造現場の見える街
現在の老松通りは、新御堂筋上高架道の入り口によって西の入り口が入りにくくなっている。その存在をもっとPRし、観光スポットにする努力が必要である。この通りも、住宅マンションが立てられ、ところどころ画廊や骨董品店の店の並びが中断されている。今後、マンションなどを立てるとしても、その一階や二階は画廊やアトリエなどにする工夫が必要であろう。
現在は規制緩和飲みが唱えられているが、老松通りのような場合には、むしろ逆に規制を掛けて街並みを保存することも考えるべきことであろう。作家の仕事が通りから見えるような作りにすれば、この街に観光客を呼び込む有力な手段になろう。
(6)シテデザール(芸術家向けアトリエ付きマンション)
(2)の(5)に触れた「エディターズ・ハウス」同様、これは市ないし府の施策として取り組むべきものである。アトリエ付きの住宅マンションを建設し、安い費用で外国出身の芸術家などに入居してもらう。これも高層マンションにして、最低50人程度の芸術家や創造者が入居できるようにするのが望ましい。
大阪が芸術活動・創造活動の活発な街であるとの話が広がれば、大阪に住み創作活動に携わりたいという外国人は増えてくるに相違ない。ただ、そのような人に日本の大都市の家賃はきわめて高いものに映る。扇町創造村が世界に知れ渡るためには、英語や中国語を母語として話す人たちが大阪にきて住めるようにすることが大切である。これもマンション一棟分の建設費用ですみ、高速道路の修理・点検などより安価で効果のある施策といえる。
(4)産業熟成と輸出のフェーズ
扇町創造村に新しいライフスタイルが定着し、世界が大阪の芸術に注目するようになると、観光客を集めるだけでなく、そのライフスタイルや価値観を支える商品やサービスが全国ないし世界に輸出可能なものになる。それは北区の人口をはるかに超える人口を養うものとなるだろう。大阪の産業構造は、現在の第3次産業を中心とするものから、創造活動を中心とする第4次産業・第5次産業が大きな比重を占めるものに転換する。
現在、日本の創造物で輸出可能なものといえば、アニメやコミック、ゲームソフトなどにほぼ限定されている。映画はかつては輸出可能なものであったが、国内市場の疲弊にともない、映画産業全体が衰退し、一部の独立プロ作品をのぞいて、新しいジャンル・様式を提示できるものはなくなっている。むしろ、長く文化の輸入規制政策を取ってきた韓国において、注目される映画が作られており、最近では日本にも固定したファンを獲得している。
アニメやコミックは、国民のアニメ好き、コミック好きに助けられて、若い才能ある人々がアニメ制作者・コミック作家を目指した結果である。日本のアニメとコミックとは、アメリカ合衆国やアフランスにない図柄とストーリー展開、コマ割りの大胆さをもっている。これらの独自性を育てたのは、アニメやコミックを鑑賞し、反応してきた多数の視聴者たちである。今後なにが日本の輸出可能なジャンルとなるか、現在から推し量ることはできない。あくまでも、近いところに批評家や鑑賞者たちをもつ街の構造が新しいジャンルの確立を可能にするのである。
19世紀、浮世絵と呼ばれる多数の版画を日本は世界に輸出した。それは日本絵画の高い技術と江戸時代の成熟した庶民文化の結合であった。19世紀にはこのような庶民文化は西洋ではまだ厚みをもったものではなかった。このような状況の重ね合わせが浮世絵を輸出品としたのである。良く言われているように、その衝撃は印象派の画風にまで影響が出る程度のものであった。扇町創造村運動は、将来の日本の輸出産業を育てるものでまである。
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