老松西天満アートストリート構想
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 老松西天満アートストリート 研究成果

「創造都市を創造する」連携プロジェクト
芸術都市キタを考える」(特別連続シンポジウム)
[2004年5月15日(土)18:30〜21:00 於宝塚造形芸術大学大学院梅田サテライト]

【1.開会挨拶・開催趣旨説明】(18:30〜18:40)
菅原正博(宝塚造形芸術大学・大学院デザイン研究科長)

菅原: では、定刻も少し過ぎていますので、これから始めさせていただきたいと思います。最初に、私は、宝塚造形芸術大学の今度新しく設立しました専門職大学院デザイン経営研究科の科長を務めさせていただいております菅原と申します。よろしくお願いいたします。
 今回、後ほどお話しいただく塩沢先生のお申し入れで、大阪市大のほうは経済で、造形大学のほうは芸術ということで・・どちらかだけでやってもなかなかうまくいかないので、ひとつ協力してやりましょうというお声をいただきました。今回は大阪市大さんのほうのスケジュールで、われわれは場所をご提供するというスタイルですが、いずれ、ここにございますように「連続シンポジウム」ということで、次回ぐらいはわれわれのほうも、少し発言をさせていただこうということを予定しております。
 今回、ご案内のように「芸術都市キタを考える」ということでありますが、まず、今、われわれ大学人が、これからいろいろ地域社会に貢献していくということが重要視されてきております。やはり、いろいろと学術的研究を進めていくものを、もっと社会に還元していくという意味では、特にこの社会人大学院というのはその使命があるのではないかということです。
 今までは、やはりこういうのは「産・官・学」で、「産」と「官」がありまして、「学」は一番あとにくっついていたということなのです。うちの池田理事長は「これからは、アメリカを見ても、21世紀は社会を引っ張っていくのは大学の機能」ということをいっております。やはり「学・産・官」という、「学」が表に出ないといけない。なかなか「学」が表に立っていくほどは、まだ力がないわけなのですけど・・。
 特に今後、これからこういう難しい都市開発や地域社会について、ある程度将来を長い目で見た、長期的な視点に立ったビジョン作りというのは、やはりわれわれの学問をもっと応用していくべき時期にあるのかなということです。これから、少し腰を据えてやる必要があるのではないかと。今回はそれの旗揚げのようなことでございます。
 一応、きょうのスケジュールは皆さん「ご案内」のように、前半は塩沢先生のご講演、それから当大学の環境デザイン担当の李教授、塩沢先生のほうは扇町で、われわれは茶屋町ということです。李先生も意欲的に環境デザインから入って、特にブランド化を図っていく、ブランドスケーピィング(Brandscaping)ということを新しい建築の立場からご提唱されているので、ちょうどいい意味で茶屋町対扇町ということで・・いずれも北区にありまして、今後キタの活性化に向けて何か役に立てればと思っております。
 お手元の、今回お配りしております資料の中に、新聞の切り抜きでしかございませんけれど、これは私の方でまとめたものです。私は私で、梅田というものを中心にして考えていきたい。最近の日経新聞の記事を集めているのですが、阪急百貨店が2011年に向けて本店を大改造していくということが出ております。それから、特にこの茶屋町で、大型の商業施設の開発が進んでいるというような記事です。しかも、郊外も含めましてヒルトンプラザとか、総合的にここ5、6年の間に相当変わっていくのかなと。ついでに、「ルイ・ヴィトン」もこの秋、銀座と梅田に大型店出店とあります。いろいろな意味で、北区あるいは梅田というのが脚光を浴びてきている。裏側に、これはきのうの記事ですが、「茶屋町の再開発ビル」ということです。住宅を組みこみながら、30、40階建ての高層ビルになります。こういうハード面におけるいろいろなものがあるわけですね。
 それから留学生の調査がありまして、USJが留学生に非常に人気があって、やはり梅田界隈が面白いと・・そういうことで。大阪の復興が立ち遅れているといわれながら、水面下ではいろいろと動き始めてきている。そういうことも含めて、これをわれわれの理論的研究、あるいは実証的研究を踏まえながら、今後、今回のテーマでございます「キタ」をいかに考えるかということになります。まず考えないことには、ものは進みません。まず考えることからスタートして、これをどのように実行に移して、そういう形にどう作られていくか、ということ。
 きょうはその皮切りで、それぞれの専門の先生方にお話をいただき、それから後ほどパネルディスカッションで、われわれの加藤先生の司会でまたお話をいただきます。一応時間的には9時ごろまでです。きょうはそういうことで、楽しくシンポジウムを展開していただければと思っております。早速ですが、まず塩沢先生、よろしくお願いします。

【2.「扇町創造村」(仮称)構想について】(18:40〜19:00)
塩沢由典(大阪市立大学・大学院創造都市研究科長)

塩沢: 今、ご紹介にあずかりました大阪市立大学創造都市研究科研究科長の塩沢と申します。きょうは「扇町創造村」、今これは仮称なんですけれども、そのお話をさせていただきたいと思います。7時半までにはわれわれ前半の講演の部分を終えなければいけませんので、20分ぐらい、かなり駆け足になるかと思いますが……。
 まず話の大筋です。私は理論経済学が専門なのですが、経済政策も少しやっています。なぜ、そんな人間が芸術の話に関心を持っているのかということを少しやらせていただきます。
 そもそも「扇町創造村」とはどんな話か。概略の説明の後、その基礎になっているこの大阪市の北区という場所の特性について、紹介をさせていただきます。そのあと最後に、こんなことができたらいいなという話をさせていただきます。
 いつでも経済学者はどうやって食べていくかという世知辛い話をしているのですが、わかりやすく、まず皆さんに農業というものを考えていただきたいのです。18世紀までは、どこの国も国民の大体80%が農業に従事していました。今は、先進国では3%です。なぜこんな大きな差ができてしまったのか。これは二つ条件があって、一つは農業の生産力が上がったのです。一人の人が食べさせられる食料生産の量が大きくなったのです。簡単にいえば一人の人が50人食べさせることができるから、農業は人口が少なくなった。でもその代わりに、農業以外のことに従事している人が増えたわけです。
 それが、19世紀、20世紀の場合は工業です。工業は農業ほど高い比率に到達した国はありません。ここに30%から50数%と書いてありますけど、50数%にいったのはヨーロッパとか日本とかアメリカではありません。東ヨーロッパの諸国に55%とかそんな国がありました。でもあれは工業過剰になってしまっていたと思います。
 今、21世紀に入ったこの時点では、工業人口はどんどん減りつつあります。大体10%ぐらいまで先進国は既に減っていっています。これは私の推測ですからあまりあてになりませんが、2030年ごろには10%を切っていくのではないか。2050年には確実にこうなるだろうと思います。そうなると、農業で3%、工業人口が10%を切る。全部で13%の人しか、そういう部門では働くことができなくなるわけです。それ以外に何か・・そのときに公務員だけが70%になっても、ちょっとこれは困りますよね。そうでない仕事を作っていかなければ、これは経済全体としてうまくいかない。そのときに今いわれている「第3次産業」といわれるものがどんどん拡大していって、第4次、第5次といわれるようなものに移らざるを得ない。その「第4次、第5次をどのように作っていくか?」ということが課題です。そのときに芸術、また創造的活動というのが非常に重要な鍵になるだろうということです。
 これは皆さんの参考のために。第3次産業の中でも、「その他経済活動」というのが大きいのです。これは全部就業者におけるパーセンテージです。フランス、ドイツ、日本は、全部48%ですから、ほぼ半分近くが「その他経済活動」という、いわゆる「第3次産業」でも金融とかそういうものではないところで動いているのです。イタリアだけなぜか少し構造が違って、卸・小売業、飲食業、ホテル業が多いのですが。例えばロンドンという町、これが本当に創造的な町かどうかはさておき、佐々木先生の論文に引かれている数字を抜いてきました。これは単位が1000人ですから、ロンドンの中で広告業に9万3000人の人が従事している。建築のデザインに2万1000人。美術品・骨とうが3万7000人、工芸が2万4000人、デザインが7万6000人、ファッションデザインが1万2000人、映画・ビデオが4万5000人、ゲームソフトが2万1000人、音楽は12万2000人、舞台芸術は7万4000人、出版が14万1000人、テレビ・ラジオが10万2000人、コンピューターソフトは55万5000人、全部合わせると132万2000人。これだけの人たちがこういう活動に従事している。これを「創造産業」という名前を付ける人たちがいるんですけれども、今までのように何か決まったものを作るということでは生きていない人たちが、ロンドンのような町では非常に大きな産業になっているということです。
 もう一つ、これはアメリカの例ですが、リチャード・フロリダという方の『創造階級の勃興』という本があります。その中で彼が作った推計です。これはアメリカの数字です。彼は「創造階級」という変な言葉を使いますけれども、今上で挙げられたような人たちに、研究開発に従事している人たちを入れて創造階級と呼んでいます。1900年、1930年、これは私が勝手に抜いたので、フロリダ自身は10年ごとのものを挙げています。最後に、1999年。これは1000人単位です。ですから3827万人が、こういう仕事に就いていると・・。それが、100年前の1900年にはまだ290万人しかいなかった。人口比でいって、10%から30%にまで増えてきている。代わりに、工業人口、これはワーキングクラス(working class)と彼は書いているのですが、35%からずっと1960年まで37%とあまり変わらなかったのですけど、それ以降急激に落ちてきて26%になっている。サービスも1990年まで上がってきているのですけど、ここで頭打ちしています。日本も同じです。1990年にサービス業は頭打ちして減少に転じています。農業は0.4%と見る影もないという感じです。これでもアメリカは、農業の巨大生産国で、輸出国です。このように大きな就業構造の変動が起こる。
 先ほど言ったように、創造的な仕事によって食べている人たちが沢山いる。そういう人がどんどん出てくることによって町が活性化する。そういうことも少し前提として言いたかったのです。
 この中にどのぐらい芸術家がいるかしれませんけれど、芸術至上主義というのですか、または「芸術のための芸術」という考え方があります。芸術ではもともと食べていけないと。もっと極端に言えば、「今食べられていないから私は本当に芸術をやっているんだと」いうふうな考え方もあるかもしれません。仕方がないから、食べられない場合に志を曲げて、例えばアートからクリエーターに変わるという考え方も一部にあるかもしれません。お金がもうけられる芸術家というのは極めて特異な人たちという芸術観があるかと思います。けれども、これからはそうではなくて、こういう芸術活動、またそれをもっと広く、研究開発なども含めると「創造的活動」、これが経済活性化の鍵を握る。これからは、経済成長といっても、ものの消費量が増えるというのではないのです。人々がどういうところに時間を使うか?どういうところにお金を使うか。人間の創造性を生かすところにお金が回っていく、時間も回っていくということになれば、当然そういう仕事を専門にする人たちが増えてこざるを得ないということです。それができない町は死んだ町。できる町は生きている町、創造的な都市、または発展する都市ということになるのです。

 何でこんなことを言っているか。わたしどもの宣伝になってしまいますが、創造都市研究科は関西を活性化する研究もするのですが、一番大きな目標はこれに貢献する担い手を輩出させたいということなんです。120名という定員を持っている大きな研究科なんですけれども、その研究科の重点研究として「創造都市を創造する」というテーマを挙げています。その中に、研究して論文を書くというだけではなくて、具体的に「この大阪という都市のどこかを変えるという運動に参加する中で、われわれも研究を進め、新しい知識を生み出していきたい」と考えているわけです。
 その一つとして、『扇町創造村』があるのです。この名前は今後ひょっとしたら変わるかもしれません。簡単には、「天神橋・天満・梅田・中津を結ぶような地域」、北区のほぼ全体を結んだ地域と思ってもらったらいいと思います。扇町はほぼ中心。江戸時代に天満組という村があったのです。江戸時代に大阪三郷というのは、北組・南組・天満組とあって、その地域とほぼ同じと思ってもらったらいいと思います。何をやりたいのかというと、このキタという地域の創造活動をショーアップし、芸術家やクリエーターやいろいろな方々により多くの活動の機会を提供したい。それは仕事の機会を作り出すということです。そういうようになれば、新しい人もここで仕事を進められる。新人発掘もできる。そうなれば、全国から「大阪に行って自分の夢をかなえましょう」というようになります。こういう若い創造者たちが集まる町にしたいのです。それがさらに進んでいけば、この町から新しい傾向、新しいトレンドというものが作り出される。それが日本や世界に発信できたら素晴らしいなと。夢みたいなことなんですけれど、そういうことを思っているわけです。
 これは北区の地図です。ここら辺に読売新聞があります。メビック扇町があります。関西テレビとそれからキッズプラザがここにあります。毎日放送があって、ここに今われわれがいる宝塚造形大学があります。ここが創造都市研究科、産経新聞、毎日新聞、上の方にピエロハーバーとか。この北区に、結構こういう芸術活動と、それのビジネス化に関係があるいろいろな施設がたくさん集まっている。こういうところを、うまくネットワークを作り、提携できたら話は進んでいくのではないかということです。あとは北区の芸術関連産業ということで、この北区にどのくらいの集積があるかということについて皆さんに知ってもらいたいと思い、いくつか説明シートを用意しました。
 【参考資料『扇町創造村(仮称)構想』スライド10「創造村(仮称)概念図」】

 その前に、大阪市における北区というのはどんなところか、ということですが、人口的にいいますと、人口はたった3.7%しかないのです。事業所の数だとか、従業者とか年間販売額ですと、もちろん北区は大きな役割を持っています。けれど、それでも販売額でも19%、5分の1しかないのです。
 【参考資料『扇町創造村(仮称)構想』スライド12「参考:大阪市における北区」】

 しかし芸術活動でいきますと、もっと大きな比率になって出てきます。例えばグラフィックデザイン、これは24%、その他デザインが22%、インダストリアルデザイン15%、これは人口からいえば非常に大きいです。3.7%に比べれば大きいのですけれども、大体北区の経済規模ぐらい。ファッションデザインだけは残念ながらこんなに低いのです。これは中央区と西区がやはり圧倒的に強い。
 【参考資料『扇町創造村(仮称)構想』スライド13「北区の芸術関連業種★グラフィック」】

 絵画関係、これは絵画商、絵を売るお店です。数字は公式の統計数字ではありません。ヤフー電話帳というのを皆さんご存じですか。あれにかなり詳しい職業分類が入っていて、そこに登録されている数です。ですから、公式統計ではない。ただ、なかなか地域でパッとわかるものがないものですから、こういうものでやらせてもらっています。画廊が35%、骨董が12%、これは少し多いなというぐらいの程度です。
 【参考資料『扇町創造村(仮称)構想』スライド14「北区の芸術関連業種★絵画関係」】

 広告代理業は40%です。これはクリエータに関係の深いビジネスですが、圧倒的に北区に集まっているんです。それから広告製作が35%、商業写真でも25%、印刷屋さんも21%。印刷屋さんは比較的都市の周辺に行きやすいのですけど、ここはまだ残っているということです。
 【参考資料『扇町創造村(仮称)構想』スライド15「北区の芸術関連業種★広告関係」】

 それから、出版・新聞。これは皆さん、数字を見てびっくりして「こんなのうそじゃない?」と思うかもしれないです。新聞社が大阪市に全部で326あって、北区に161。「そんなにあるはずない。毎日新聞とか朝日新聞とか、数えていったって5つか6つじゃないの」と思うかもしれません。実はこういうことです。各県の県紙というのがあるでしょう。そこの出張所みたいなところと業界紙が入っていて、半数以上は北区にあるということです。そんなに小さなところがあっても仕方がないと思われるかもしれませんが、そうではありません。北区に面白い動きがあって、こういう新聞社の人たちが注目してくれれば、全国に流れるだけの地盤を持っているわけです。もっとうまく使わなければいけないのではないかと思います。出版社の32%というのは、少し警戒しなければいけない。というのは、大阪の出版社は営業部門が多くて、編集そのものをやっている人は少ないのです。
 【参考資料『扇町創造村(仮称)構想』スライド16「北区の芸術関連業種★出版・新聞」】

 それから、これは映像コンテンツ関係、これもパッと見てもらったらわかりますが、60%。映像ソフト制作でも40%。ただ、映画制作配給というところはほとんど配給でしょう。そういう問題はあります。【参考資料『扇町創造村(仮称)構想』スライド17「北区の芸術関連業種★映像・コンテンツ関係」】

 芸能プロダクションも43%、劇団はもっとあってもよさそうな雰囲気なんですけれど、出てきた数字はこんなものです。劇場は38%、舞台制作22%。音楽は、ライブハウスが39%です。ちょっと数字が飛んでいますけど、CD・レコード制作45%。音楽教室のように、ほとんど人口に比例しているところは9%しかないということです。
 【参考資料『扇町創造村(仮称)構想』スライド18「北区の芸術関連業種★演劇・劇団・芸能プロダクション関係」、スライド19「北区の芸術関連業種★音楽関係」】

 それからもう一つ、北区というのは若者の町として注目すべきところだと思うんです。予備校が大阪市に120あるうちの31%を占めている。ほかの区にはどのくらいあるか見てもらっても、北区が一番多いです。ビジネス学校というのは、専門学校のビジネススクールです。これが35%。もう少し細かく分けたものでこんな感じです。美術学校が65%、外国語学校が28%、コンピューター学校が33%、タレント養成学校が38%。
 【参考資料『扇町創造村(仮称)構想』スライド20「若者の街:北区(各種学校1)、スライド21「若者の街:北区(各種学校2)」】

 数字ものばかり並べてきましたが、このように大阪の北区、特に西天満、東天満、天満、あと少しいろいろなところに散らばりますけれど、そういうところを中心にして、この中津辺りまでです。あまり普通の人は知らないのではないかと思いますが、大変な集積がある。クリエーターとかそういう人たちがたくさんいるんです。1万人以上いる。数字は難しいんですけど、ここに住んで動いているらしい。ところが、その人たちのネットワークというのは非常に少ないし、大阪は残念ながら雑誌メディアが非常に弱いのです。ですから、自意識としてなかなか形ができない。こういうところがあって、自分たちの近くにこんな可能性があるという意識がない。
 北区の特色として今、職業構成上こんな面白いところだというのを言いましたけれども、もう一つ、知的な活動の町としてもすごく注目すべきところではないかと思っています。『天満人』という雑誌(ムック)が2号出ています。それぞれ1万部出ているというのですが、1500円の本です。これは、非常に、こんな狭い範囲でやるものとしては珍しいのではないか、と思っています。
 それから、きょうパネリストで出てこられる山納さんがやっている「扇町トーキングアバウト」というものがあるのです。なぜこれを始められたかという話がまたあとで出てくると思います。扇町を中心にしてレストランや喫茶店を使ったいろいろな活動をされています。催し物の中には例えばこんなものがあります。いちいち説明しませんけれども、もう、あらゆる種類のイベントをそれぞれ自分たちが勝手にやっている。コーヒーを飲みながらとか、食事を取りながらという格好です。これ、2番目、「イロブン」なんて何かと思ったんですけど、「色物文具」の略らしいのです。「今回は『現代アート』を疑うことから始めましょうか」という、こんな変なグループもあるとか、「水都大阪の文化再生をみんなで勝手に考える」とか。もう一つ、このトーキングアバウトの中の一部なんですけども、「実験哲学カフェ」いうのがあります。既に70回を超えています。これは1月から3月までの例題をパッと見たんだけど、哲学といっても、いわゆる難しい哲学では全然ないんです。こういうのがどんどんやられています。このように定期的に続いているものは、日本ではここだけだと思います。ですから私はいつも「大阪は日本で最も哲学的な町」と言っているのです。
 哲学カフェは、もう一つ、阪大の鷲田先生がやっておられます。千里とか天王寺の応展院とかでやっておられる。これはあまり頻度は多くない。朝日カルチャーセンターでもやるかな。これは哲学カフェを始められたマルク・ソテーの本です。
 それから、こんな町で面白いよというのが、いろいろあります。これはお初天神の写真です。こんなのは皆さん全部知っていると思うんです。「お初さん」というのは人形浄瑠璃で有名な事件の心中したヒロイン。その人が亡くなったあと、神社にこの名前が付いて、その伝説だけである意味で一つの繁華街が出来上がっているわけです。
 もう一つ、これは「Salon de AManTO」。こういうのはしもた屋というんですか?昔の普通の民家を改造して、今喫茶店にしているところです。
 コモンカフェというのは、これはまた山納さんがやっているものです。南のほうの菅原町には「イベントスペース雲州堂」というものがあります。これは昔のそろばん屋さんの倉庫を改造した、なかなかしゃれたお店です。イベントスペースといっているように、小さな舞台があって、芝居やライブなんかをやることができるようになっています。
 北区の町づくりのためのNPOも結構たくさんあります。これは私も全然知らないんですけど、「おもしろ実験研究会」なんて、北区の伝説としては非常に重要なテーマで、これをやっている人がやはりいるんです。
 中崎町というのは、ここからは、茶屋町をちょっと超えたところ、つまりJRのガードを超えた先が「中崎町」なんです。普通でいえば長屋がずっと続いているところなんですけれど、所々にパッと小さなお店があって、今は茶屋町のトレンドだけでは満足できないという若い女性がここまであふれてきています。それから「老松通り」というのが西天満にあります。古美術だとか画廊ですから、直接にはつながらないかもしれませんけれども、もう少しうまくクリエーターとのつながりができれば、これも資産になるのではないかと思っています。あと寺町は、結構、有名な人のお墓があるのですが、公開されていないのが残念です。
 21世紀型産業という話に戻りましょう。これからは、われわれの生活時間をいかに充実するか、そのための新しい産業という観点が重要だと思うんです。楽しい食事をするというのは非常に重要な産業なんです。扇町公園のところからずっと東へ行って、源八橋に至る通りがあります。なぜか、「帝国通り」という通称が付いています。ここは10年前にはコンビニが3軒あるだけの通りでした。それ以外にほとんどお店がなかった。今はここに、日本料理、韓国料理、イタリアン、いろんなお店が出てきています。これからこれはとても良いレストラン街に発展する可能性があります。

 北区というのは非常に面白い町なんだけれども、もっと面白い町にしませんかというのが私の提案したいことなんです。ではそれをどう具体化するか。私が今まで話してきたことは、この地域には既に自然発生的にこういう動きがある。それをひとつ名前を付け、みんなのネットワークを作ればもっとはっきりした形のものになる。人々がネットワークを作り、それから人々の自己認識を変える。それが共通の運動になれば十分注目される町になっていくんじゃないかということです。
 一体それをどういうふうにしたいか。「先端の傾向を生み出す」という意気込みが重要です。世界の中で、新しい時代が生まれてくる、トピックが出てくる、新しいトレンドが生まれる。そういう町がいくつかありますね。残念ながら日本の場合東京がほとんどそうなっているんです。でも大阪がそういう能力がないわけではない。残念ながら今までそういう力はちょっと弱かった。それをきちんとねらえば、日本の中で二つぐらいはそういう町が十分成立すると思っています。そのためには何が必要か、この、クリエーターとかインキュベーターとか、マスコミとか大学院とか、こういう人と組織の連携が必要です。ここに新しい芸術運動を作り出すんだという意欲のある人たちが集まる。そのことを議論する、これが重要だと思うんです。そのことが、短いサイクルで回転して、ここにこんな面白い人がいるよ、こんな面白いことをやっているよというのが、新聞にも載る、テレビで取り上げられる、またこういう議論の場で紹介される。それが皆さんのところにフィードバックされて、「ああ、あんな面白い人がいる」ということで、またその先を狙う人が出てくる。そうするとどんどん先に行きますよね。それで、よりはっきりした傾向が出てくる。大阪を見ているとやっぱりちょっと東京にはない動きがあって、あそこは無視できないよねとなれば大阪ももう少し注目される町になれます。モードとかそういうものにおいても先導性のある町ということになれるだろうと思っています。
 もう時間ですので、細かい説明は省きますが、こういうことをやる中から大阪の北区を第4次産業、第5次産業が育つ地域にしたい。これは北区だけではなくて中央区には別の運動があってもよい。例えば、上町台地のルネッサンス構想なんていうのがあります。西区でどういうものをやるとか、それぞれの地域を活性化していく中でしか大阪全体の活性化は難しいんじゃないかと思っています。最後に大げさなことまで言っていますが、世界の芸術運動の一つの中心になれるくらい、大きな夢を持ってやれたらいいんじゃないかというのが私のきょうお話ししたかったことです。どうもありがとうございました。

菅原: どうもありがとうございました。塩沢先生のほうから北区が芸術都市になる素地は十分あると、あと、それをどのようにつなげていくかという連携プレーであるという、いろいろな知識・知恵を持った方が結集していくということで……。引き続きましていろいろ質問があるかと思いますが、シンポジウムのあとは加藤先生のほうでそういう場を設けていただいているかと思いますので。では引き続き、われわれのほうの李先生のほうから、第2弾「茶屋町」の問題……。

【3.茶屋町の芸術と場所】(19:00〜19:20)
李暎一(宝塚造形芸術大学・大学院教授、環境デザイン担当)

李: ただ今菅原先生からご紹介にあずかりました、宝塚造形芸術大学の李と申します。きょうは、行政や民間などいろんな方面の方々が来ていらっしゃると思いますので、その両方の観点から話をさせていただこうと思っています。私は20分いただいていますので、その中で私が主に説明をしたいと思っている項目を4つ挙げて見ました。

 1つは、連続シンポジウムのテーマが『芸術都市キタを考える』ですので「芸術都市というのはどんなものだ」ということをまず定義しておきたいと思います。
 次は「芸術は都市に何ができるか」。芸術の都市に与える影響みたいなものについて少し話をさせていただいて、3番目に茶屋町の「プロジェクト」について私が感じたこと、そして最後には「芸術都市にするためにはどうすればいいのか」について私なりにまとめたものを提案させていただいて終わりにしたいと思っています。

 まず、「芸術都市」というものを名乗るときに、もっとあると思いますが、大体5つぐらいの内容をもって「芸術都市」とよんでいるのではないかと思っています。「芸術都市」といった時にその「芸術」とは、単なるファインアートのアートというか、美術というものだけではなくて、先ほど塩沢先生がいろんなデータを出していただいたと思いますが、音楽や映像や演劇、そういった「創造的な領域を総合的に含めるのではないか」と私は考えています。ですから創造的な意味合いを持ちますとそれがすべて芸術都市につながっていきます。例えば、よくできている芸術都市といったらフランスのパリであるとか、イタリアのミラノ、フィレンツェといったものを思い浮かべる方々がたくさんいらっしゃると思いますけれども、それらは一つだけではなくていろんな分野が総合的に特徴付けられている街であると思います。ここに「芸術都市」を標榜している都市の特徴を5つの内容でまとめて見ました。
 まず、1つ目の内容としては「その街に行くとアートのインスピレーションを受けやすい」ということです。これはイタリアのミラノ、フィレンツェ、ローマとかが当てはまるのですが、アメリカの建築大学は学生がイタリアの街を見学するというカリキュラムが含まれているぐらい、イタリアの街々は建築やアートを創るときに非常にクリエイティブな街であるといったことを想像していただければいいかと思います。
 次に、「アーティストが集まる施設、及び地域を持つ街」を「芸術都市」と呼ぶ場合もあります。フランスのパリには「国際芸術都市CITE INTERNATIONALE DES ARTS」という施設がありますけれども、そこには、展示や作業場、アトリエ、実際に宿泊できる居住空間を持っている施設を国が造っています。「国際芸術都市」は、世界的に、国際的な観点で芸術と文化の交流を図るために、フランスの政府、つまりフランス文化省、外務省、パリ市などの援助を受けて財団法人が建てたものです。ここは彫刻家、画家、版画家、建築家、音楽家、演出家、外国人舞踊家、舞踊振付師など、例外なくその芸術の全分野の人に開放されています。入居者である芸術家たちは実費のみの負担で個展を企画・開催できるスペースがいくつかあり、一般聴衆や入居者のために毎週コンサートが開かれています。
 3番目に、「アーティストが活躍できる発表の場所を提供する街」です。そういう場所がたくさんありますと「芸術都市」を名乗れる資格を持つのではないかと思います。アジアにおいて国際芸術都市を宣言するケースもたくさん見られますけれども、そういった場合に何をするかと言いますと、インドネシアのジャカルタのように街の誕生とかいろんなものを記念する行事として芸術を取り上げて、フェスティバルを催します。これはアートフェスティバルを行うことによって世界的に注目してもらうことが狙いとしてあります。シンガポールにおいてもルネッサンス・シティを宣言して政府、これは主に行政が働きかけをしながら進めていますが、いろんな国から優れたアーティストを呼んだイベントがずっと行われています。こうすることで「これから芸術都市にしていきますよ」という意志を表わしながらいろんな仕掛けを考えている都市もあります。
 4番目には、「さまざまな芸術のイベントを企画する街」です。
 最後に、これは民間も行政も含めての話ですが、「アーティストのために経済的な援助や支援を活発に行う街」です。
 これら5つの内容は大体「芸術都市」を名乗っている都市の特徴になっているのではないかと思っています。5つの内容からわかりますように、それぞれの国の芸術都市は、内容と形式という両方の面を持ち合わせています。内容というのはソフト的なもので、形式というのは実際の物的な建築であったり都市計画であったりしますが、そういった両方の面を含めて芸術都市を目標にしてみんなが創っているのではないかと思います。また、民間と行政が一緒に芸術都市を創っていくというのも特徴になっています。と言う意味で大阪のキタにおいても、民間の役割と行政の役割は同じぐらい重要じゃないかなと思っています。芸術都市を名乗っている都市を事例的に見ていきますと、芸術はなぜ必要かということを教えてくれます。それは世界的に見ても国とか都市のブランドのイメージを非常に高める役割を果たしているということなのですが、芸術というのはそういう意味で都市にとっては絶対必要な栄養素と言えます。

 2番目に、では「芸術は都市に対して何ができるか」と、芸術は都市に対してどんな役割を果たすのかについて事例を交えて3つぐらいにまとめて見ました。
まず、芸術と都市といったときに、その間には必ず建築というものを介在して考えていく必要があるのではないかと思います。アートと建築を考えた場合に「美術館」という制度的な問題があります。美術館という建築は、今、第3世代と言われていますが、第1世代というのは、ルーブルみたいに貴族や王族が一般の市民のために開放したもので最初の美術館の由来になっています。第2世代はいわゆる近代美術館の「近代」が付くものです。近代美術館は、既存の彫刻や絵画を展示するという、一つ決められたパターンがあって、何でも展示できるような空間を要求した美術館です。第3世代の美術館というのは、建築が建てられる場所をデザインの表現に生かし、アートの展示形式がもっと多様になったものです。美術館の形式や美術という、アートの様式も変わっていますので既存の美術館の中に収まらないものがたくさん出てきているのが現代アートの特徴です。そのために街の中に出て行ったりいろんなところでその場的なインスタレーションが行われています。つまり、芸術と建築を考えたときに、芸術作品が建築の中に納まらずに、街そのものが展示場所になって街に出て行ったことが非常に大きいのと、もう一つは、ただ単に出て行ったということではなくて、その街の中で展示される場所の特徴が非常に重要になってきています。ただ、その街の中でやればいいということではなくて、街の歴史だとかその空間的な文脈、コンテキストを生かしながらその場所と対話する形で行われる行為そのものが、アートの重要な様式になってきていると思います。という意味で、街というのはアートと深いかかわりをこれからも持っていくのではないかと思います。
 2番目に、芸術というものを既存の都市のイメージを変える手段として使っている、ということです。その事例として、ベルナール・チュミが設計したラ・ヴィレット公園があります。ラ・ヴィレットという街は、もともと屠殺場でしてフランス人にとっては非常にイメージの悪い街でした。そういったイメージを刷新するためにラ・ヴィレット市が、世界的なコンペを行いました。そのコンペで1等賞になって実際に建てられたものが、このラ・ヴィレット公園です。この公園の中にはパブリックアートを含めて、建築などいろんなものが建てられていますが、都市そのもののイメージを変えていくためにこういったアートや建築が使われているということは、芸術と街との関係において非常に参考になるのではないかと思います。もう一つは岡山に奈義という小さい町がありますが、ここに日本の建築家の磯崎新さんが、奈義現代美術館を創りました。この美術館ができてからは、過疎化していった小さい村が観光客でにぎわうようになって、奈義そのものが皆に知られ、この町はアートに力を入れているなというのがわかるくらいに、一気に盛り上がった事例です。
これら2つの事例から建築やアートは既存の街/町の風景をもう一回再認識させ、既存の風景やイメージに新たな意味を与えています。
 3番目には、芸術と建築が街/町を活性化することに特徴のある場合です。これはパブリックアートとして東京のファーレ立川が典型的な事例ではないかと思います。それともう一つはクリストのアンブレラという作品です。これらについてすこし述べさせていただきたいと思っています・・。これがクリストのアンブレラという作品ですが、これもさっきの奈義と似たような効果をもたらした作品だと思います。クリストが日本とアメリカで同時に行ったインスタレーションですが、日本の場合だとブルーの傘、アメリカでは黄色の傘を使いました。この日本のアンブレラは、過疎化が進む自然が豊かな農村集落に立てられましたが、残念なことに急に風が吹くようになって、飛ばされた傘に人が当てられる事故で中止になりました。しかし、この作品を見に数万人、数十万という人が訪れたわけですから、アートは今までとは違う意味で非常に大きな役割を果たし、今までより新しい意味をアートが果たせるようになったことで参考になる作品だと思います。
次に、パブリックアートの事例として、僕の友人でアートフロントギャラリーの北川フラムさんが仕掛けたファーレ立川のアートプロジェクトを紹介したいと思っています。このプロジェクトのすごいところは、実際にパブリックアートに求められていることのすべてがここに出ていることです。立川はもともと米軍の基地があったところでその跡地に何をするかということを考えた街です。最初、この街は住宅・都市整備公団が再開発しましたが、それがあまりにもドライな街でしたので、こういったアートプロジェクトが提案された訳です。実際に、できたことで立川は面白くて楽しい街に変わりました。その仕掛けは、世界から多様な価値観を持つ何百人のアーティストを集めて実際に市民が触れられることを大前提にして創られています。それは、一般的にアートと言うと、「触るな」というのがいつも名札に書いてあるように市民の生活と懸け離れたものが多かったのですが、ファーレ立川は市民の生活と密接な関係を持つように創られています。これはファーレ立川のアートマップですが、人々は、この地図を手に持ってあちこち街中にちりばめられている作品をオリエンテーリングしながら、どこにどういう作品があるかをちゃんと見ながら街を楽しんでいます。それが結局、都市のイメージにつながって、アートの街、立川を定着させています。そういう意味でアートは街に対してすごい役割を果たしていることがわかります。それともう一つの特徴は作品に機能をちゃんと与えていることです。この作品は買い物の形をしていますが、換気口を隠すために創られたものです。街が楽しくなるためにはこのように市民の生活とマッチングしないといけない。ですから「触るな」ではなくて誰でも触れるようにしてそれが市民の生活の中に溶け込んでいくようにならないといけないと思います。
 次に、フランスのアートと建築の政策について少し説明させていただきたいと思います。この真ん中にあるのが古い凱旋門です。凱旋門から見るとこういった風景が見えます。この奥の方に新凱旋門を創っています。これはなぜ事例で挙げたかといいますと、フランスの行政の話を少ししようと思っているからです。フランスでは、ミッテラン大統領がフランス革命200年を控え、意欲的に推進した文化整備事業「グランプロジェ」ありますが、この政策のお陰で都市に建築やアートプロジェクトがたくさん設けられました。ラ・ヴィレット公園やルーブル美術館の増築も新凱旋門もその事業の代表的な作品です。この新凱旋門の場所に何を創ればいいかというのをずっとフランスの行政が考えまして、世界的コンペを行いましたが、1回目のコンペでは実際に1等賞を取った作品は実現しなかったのです。なぜかというと、「これはこの場所にふさわしくない」と。だからレベル的には達していないということで、結局建てられなかったのです。そのあとにデンマーク人のスプレッケルセン(J.O.von.Spreckelsen)が取った2回目のコンペでよって実現されたのが今の新凱旋門です。フランスの場合は、割と自分の国の中にあるものは誰が建ててもフランス的だという言い方をします。良いものはフランス人じゃなくても誰でもフランスの中に建ててもらえればそれでいいんだという発想がどこかにあると思います。この新凱旋門はやっぱりパリの都市空間文脈としての都市軸にちゃんと乗った作品です。国が何を創るかということになると、パリの街全体を考えた上でこの作品がここにふさわしいものかどうかという判断を下していますが、それは芸術都市を創る時に最も必要な政策の一つであると思います。

 3番目には、このサテライトの前にある茶屋町を取り上げて、私が個人的に感じたことについてすこし説明させていただきたいと思います。茶屋町は明治22年に9層の凌雲(りょううん)閣というものが遊園地の中に建っていてその辺は常ににぎわう楽しい街だったと思います。この茶屋町の再開発の話を聞いて茶屋町再開発組合の方と開発主の阪急不動産にお願いをしまして、私の大学で提案させてほしいとお願いをしたら、こっちも参考になるので良いという承諾を得ました。学生たちは大喜びで一段とやる気を出して張り切りました。
 これら二つの作品は私の授業の課題として大学の3回生が実際のプログラムをもとにして創ったものです。授業の中で最初は茶屋町の歴史をみんなが調べ、街を歩きながら空間的な文脈やデザインの方向を考えました。昔は人々がここに来るとみんな楽しい思いをして遊んだ訳ですから今回もとにかく楽しいものを作りましょうということをみんな言いました。この作品は楽しい街の仕掛けとして建物の真ん中に舞台をつくっています。街を楽しむというコンセプトが空間の隅々に表現されています。
 この作品も学生が作った案ですが、全体は5つの建物に分けて、人間の五感に例えて建物を創っています。こういった象徴的な景観を、例えばこの左側を見ますとヨコハマという街のイメージが思い浮かぶように、何かこの茶屋町と言われたら思い浮かぶイメージを創ることからこのようなデザインになっています。
 これらの作品は実際に阪急不動産の方々に来ていただいて、プレゼンテーションも行いましたけれども、残念なことに実現までには至りませんでした。しかし、今回のこのような実践的な試みは学生にとっても阪急不動産の方にとっても有意義なものだったと思います。それは両方の考えの違いがはっきりしてきたことです。学生は現実的な問題に対する考え方を再認識しましたし、阪急不動産側は斬新なデザインコンセプトと空間が非常に刺激になったはずです。これからもこのような実践的なプロジェクトは続けていくつもりでおります。
 茶屋町は、現在工事が行われていますが、これが実際つくられる建物です。私としてはこの建物が街に対してどのようなビジョンを持ってつくられたかあまり理解できません。ただ、再開発においてよくある話ですが、将来性を考えずに目先的な利益が優先されたとしたら非常に残念に思います。

 最後になりますけれども、基本的に芸術都市にするためにはどういうことが必要なのかを提案させて終わりにしたいと思います。
 1つ目は、「都市の芸術に対する明確なビジョンを皆が打ち出すべきだ」と思います。これは行政も民間も一緒にやるべきことですが、そのためには芸術に対する理解を高めることと、芸術の日常化が非常に重要なテーマだと思います。
 2つ目は、「都市は生き物である」ということです。進化し続ける都市でないと今は生きていけない。例えば博物館的なイタリアの都市なんかを見ますと、最近の現代的なものがあまりありません。そういう博物館的な都市になるのも良いとは言えないと思います。そこで提案なのが、現在の状況においてその都市のイメージに直結するようなものばかりに頼ってはいけない。常に既存の環境ストックになるものを重ねながら新たに起爆剤になるものをどんどん浸透させ、成長させていかないと都市そのものは生きていけいない。その2つの要素のバランスを取りながら芸術都市を創っていかないといけないと思います。
 3番目は、「都市は観光資源である」ということです。今、みんなが気付いていることだと思いますが、優れた芸術都市は世界的に観光資源であるということを認識し始めています。それと最後に都市というのは芸術の舞台であるということです。これは芸術の日常化とも関係しますけれども、その都市がすなわち舞台であるということを世界にアピールしないと芸術都市にならないんじゃないかと思います。この作品はI・Mペイがルーブル美術館の前に建てた新しい美術館です。ガラスの三角ピラミッドが象徴的なもので古いものに新しいものを浸透させ、成功した典型的な作品だと思います.このように芸術都市は新旧のもの同士が新しい調和によってさらに新しい意味を発生させています。つまり、新しいものを常に加えていかないと、古いものの層だけでは、優れた芸術都市として生き延びていかないんじゃないかと思います。
 ここは、知のランドマークと呼んでいます宝塚造形芸術大学のサテライトですが、キタにもこういった新しい芸術とコラボレーションした建築がどんどん出来てきますと新しいキタのイメージによって真の芸術都市になれると思います。そういう意味でアートとか建築というのは芸術都市に非常に大きな役割をはたしていて、提案させて頂いた4つの内容が総合的にまとまっていくと芸術都市に近づいていくんじゃないかなと思います。
 以上で終わらせていただきます。ありがとうございました。

菅原: はい。どうもありがとうございました。具体的に学生とコラボレーションしながら茶屋町の町づくりにも積極的に実践していただいています、李先生でした。
 それで一応、扇町と茶屋町と一つの舞台リレーで議論をさせていただいて、これを踏まえながら実際にこの芸術都市キタの現状と将来ということにつきまして、後半戦、パネルディスカッションをさせていただきたいと思います。
 これは加藤先生・・インテリアデザインの担当の教授でございます・・加藤先生にバトンタッチいたしまして、進行したいと思っています。若干時間がずれていっておりまして、予定よりも遅れて、今ちょうど43分ぐらいですか、ここでちょっと一息ご休憩いただいて、一応締め切りは9時となっておりますけれども、若干時間を少し延長させていただくかもわかりませんけれども、議論の具合によりまして、あとは加藤先生に進行管理をお任せしますけれども、なかなかこういった、皆さん方にお集まりいただく機会というのはないかと思いますので、できるならば多少時間を延長してもいいディスカッション、あるいは発表をさせていただいて、次回に結び付けていく、そういう面での場にしたいと思っておりますので。
 どうしても9時に帰らなければいかんという方はどうぞ退出していただいて結構かと思うんですけれども、時間の許す限りそういうことで進ませていただきたいと思います。私の独断なんですが、一応8時からということで、その間、若干ご休憩ということで。
 手洗いのほうはちょうどこの1階にもございます。それから上のほうにもちょっとありますのでその辺はどうぞご自由にご利用いただければと思います。

(拍手)

【4.パネルディスカッション】(19:30〜21:00)
[パネリスト]
李暎一(宝塚造形芸術大学・大学院教授、環境デザイン担当)
山納洋(メビック扇町所長補佐・コラボレーションマネージャー)
塩沢由典(大阪市立大学・大学院創造都市研究科長)
小長谷一之(大阪市立大学・大学院創造都市研究科助教授)
[司会]
加藤力(宝塚造形芸術大学・大学院教授、インテリアデザイン担当)

加藤: それでは定刻になりましたので、これから第2部のパネルディスカッションを始めたいと思います。パネラーは、まず先ほどご講演いただきました塩沢先生です。それからメビック扇町コラボレーションマネージャーの山納さんです。もう一人は、小長谷さんといいまして、大阪市立大学の大学院の助教授の方です。それから、先ほどご講演いただきました、李暎一先生ですね。私は司会進行をさせていただきます。
 (講演者の)お二人から、「キタはアート都市になるのか?」という話をしていただきました。そこで、私は大阪の人間ではありませんけれども、去年くらいから大阪に来ていますけれども、外から見ましても大阪の町というのは、商業の都市で、「もうかりまっか」という気分の強い町でして、本当に芸術都市大阪が果たしてできるかどうかという、ちょっと疑問もあるわけですね。
 しかし、一方で、例えば私どもの分野でこのビルを設計していただいた安藤さんなんていうのは、言っちゃあなんですけど、ちょっと怪しい人なんですけどね・・(笑)。怪しいというか、いい人なんですよ・・。いい人というか、今までの価値観でいったら、正統的な人じゃないわけですね・・(笑)。最後は東大の先生になりましたけど、正統の人じゃないわけです。あるいは、インテリアで言ったら、喜多俊之さんという人がいます。この人もそう正統的な人ではありません。でも、そういう人が世界的に活躍できるような大阪という町は、そういう人たちをはぐくむ町でもあるわけですね。ある意味では、非常にこれから、芸術都市大阪というのは、特にキタの町というのは、そういうデザイナーとかあるいは芸術家とか、クリエーターを育てる可能性があるのではないか? というような感じもしております。
 そこで、まずは皆さんにお尋ねしたいんですけれども、果たして大阪の、特にキタエリアは、芸術都市になり得るかどうかということを、李さんと塩沢先生にお話しいただきましたので、山納さんから、また小長谷先生からまたちょっと10分間くらい、お話をいただきたいと思います。小長谷先生は調査なんかもやっております。この調査(アートのまちづくり研究会編『アート拠点調査』)もクリアです。これを含めて、お話いただきたいと思っております。」

小長谷: いまご紹介あずかりました小長谷でございます。一つだけ、最初にまずお断りしておきたいんですけど、これは(アートのまちづくり研究会編『アート拠点調査』)、私がやったものでは全然ありませんで、うちの創造都市の大学院の学生がみんな力を合わせてやったものです。これからゆっくりお話しいたしますけれども、この報告書の第3部は、実は、このキタのエリアで最近でてきました自発的な動きを特集しております。「扇町、中崎町、中津」という第3部のところなんですけれども、その地図が、13ページに出ております。うちの大学院は、実は社会人でいろいろ行政の人もおりますし、シンクタンクの方もおります。そういう人たちが、みんなでヒアリングをいたしまして、完成させたものでございます。この報告書のようなものが、今のキタの動きです。実は、面白い動きがたくさんでてきているということなんです。
 【参考資料『アート拠点調査』目次(アートのまちづくり研究会編2003)】

 まず、「キタはアート都市になるのか?」、ということの前に、私今非常に、塩沢先生はこの扇町創造村の提唱者でいらっしゃいますし、一番最初にまず、概略、グランドデザインをお話しされまして、それから、きょう初めて実は聞かせていただいた、李先生の先ほどの新凱旋門であるとか、面白く大変印象を持って聞かせていただいたので、ちょっとそれから続けてお話しさせていただきます。
 実は、われわれの大阪市は、前市長の時代から国際集客都市という看板を掲げたわけです。私は、これは半分成功であると思うんですね。逆に言うと半分しか成功していない(笑)。それが、いつも言ってるんですけれど、パリとかミラノとかのように、「本当の」といったら失礼なんだけども、本場の世界的国際集客都市というのは、必ず「ビッグプロジェクト」プラス「自主的なおしゃれな町づくり」。その周りの商店街です。これがセットなんですね。先ほど王宮であるとかそういう話もあったんですけども、昔でいけば、ビッグプロジェクトというのは王宮であったり、ルーブル美術館であったりするんだと思うんです。で、今の大阪でいうとビッグプロジェクトといえば、例えば、テーマパークUSJとかフェスティバルゲートだと思うんですね。
 ところが、ヨーロッパでは、その周りにワンモア・トリップの目的地があるわけです。ヨーロッパの観光へ行きますと、周りをそぞろ歩きしてこういろいろ面白い買い物したりとか、そういうおしゃれな町並みや商店街がいっぱいあるわけですね。それがその国際集客都市に厚みを加えているばかりか、実はそういうものが周りにあって、周りの町づくりと一体になることによって核も生きてくると・・。
ところが大阪は、(観光行動の観点からいうと)点的開発といわれているわけですね。点的なビッグプロジェクトに観光にいって、(周りに行かず)直ぐ帰る。まちとの連携がない。その結果、今、大阪のビッグプロジェクトが、大変私も大阪市に属しておりますが、続々、破綻をしてきているわけです。
 私は、3年前に「USJに関わった周辺の活性化」という趣旨の副委員長を国土交通省・経済産業省のジョイントでやりましたけど、そのときのUSJは、それはそれは飛ぶ鳥を落とす勢いで、マスコミも含めて、USJさえあれば、大阪の活性化は成したと・・これは本当の話です。3年前の新聞を見ていただいたらいい。僕は、そのとき一人だけ、委員で反対しまして、これもなにもしなければ勢いに衰えがくると。今のうちに、最初の元気なうちに、周りの・・僕が言っていたのは安治川の辺なんですけど・・実は、きょうのこのレポートでも、第2部でうちの学生がみんな調べているんです。(この報告書の第2部に)安治川のUSJの周りに、こういうおしゃれな芸術劇場みたいな自主的なものがいっぱいできてきているんですね。
 【参考資料『アート拠点調査』目次(アートのまちづくり研究会編2003)】

 この「自由空間」とか、「石炭倉庫」とか・・・そういうものを、USJの対岸の安治川あたりに、若者の町としていっぱい作っていくべきだと。そうするとパリのカルチェラタンみたいな感じで、美術館などへ行ってから、次にそういうところ行って、何日も滞在してくれる。そういうふうな、(大阪は)その後ろのほうがないわけですね。片手落ちであると。ですから、「USJも今のうちにやったほうがいいですよ」と言ったわけです。それなのに誰も聞いてくれなくて、結局3年くらいたつと厳しくなってくるわけです。
 実はこのキタも、阪急も建て替えますし、JRも建て替えるし、梅田北ヤードという、やっぱり真打ちともいうべきビッグプロジェクトがある。ですけども、よく考えるとやっぱりこれも点なんですね。まわりの自生的なまちづくりも一緒にやらないといけない。
 ですから、その周りの動きは何かというと、キタには、まさにあるわけです、実は。先ほどから、塩沢先生が言われましたこの「クリエーターシティ」というか、もともと、キタの駅前中心部は阪急やJRの文化ゾーンだったんですけど、その周辺部に、(「グレーターキタ」といった感じて)こういうフロンティアゾーンともいうべきところに、実は、おしゃれなカフェとかレストランができたり、こういう自主的な動きがいっぱい出てきてきていると。
 この資料(『アート拠点調査』)の第3部を見ますと、メビック扇町・・トーキングアバウトについては後で山納さんがお話しすると思いますが・・プラネットであるとか大阪造形センター、森羅空間、ピエロハーバー、こういうものが・・森羅空間はJRのガード下、それからピエロバーバーは阪急中津の下のガード下の空間を芸術村に変えようという自主的な動きであります・・こういうものがいっぱい出てきていると。
 【参考資料『アート拠点調査』目次(アートのまちづくり研究会編2003)】

 そんなときに、もう一つ。大阪のポイントは、なぜアート都市かというと、大阪はテーマの打ち出しが弱いというところが最大の問題・・これは、塩沢先生は「議題設定能力」ということで、前から言われてたんですけども・・要するにやっぱり「国際集客都市」なんていうより、大阪アート都市って言い方ですね。「国際芸術都市」にしたほうがよかった。その辺の踏み切りが弱いんですね。で、大阪は立派ないろんなジャンルがあるものですから、一つのテーマで打ち出しをすると、嫉妬が出て「うちが乗れないやないか」みたいな話がでてきて、ここら辺が、九州であるとか、そういうところのほうが身軽だったりするんですんですけれども。
 実は、これは先ほどの李先生に関係するんですけど、「国際集客都市」より、「国際芸術都市」と言ったほうが、よっぽど集客が来たりするわけですよ。そこら辺のインパクトが、非常にコンセプト形成力が弱い。
 それともう一つは、僕が大阪府のホームページ上で、「大阪ブランド戦略」ということで書いてるんですけど、大人が若者の動きを無視しているところがある。実は、大阪は、先ほどいわれた安藤先生なんていうのはもう上の世代ですけども、東京で活躍しているクリエーターはみんな関西、大阪出身なんです。で、なぜこういった人たちが大阪でできるような、おしゃれな町にしないかのと。それから、堀江や南船場のほうが、よっぽど全国区で、稼げていたりする。ところが、大阪といえば○○とステロタイプ化されたイメージしか出せない。堀江や南船場の方がよっぽど全国の若者に支持されているのに、それがわからない。
 東京は、クリエーターの町としては東京・渋谷ビットバレー、秋葉原エドバレーとか言っているんですけれども、ITセンターとか。それから神田はデザイン村みたいなのをやっている。
 大阪はそういうものを全然考えていないようなところがある。
しかし実は大阪も梅田に大学院を設置した。そうするとこの梅田は、塩沢先生もお話になられたんですけれども、クリエーターは信じられないくらい集中しています。恐らく西日本一じゃないでしょうかね。こういう南森町とか、天満のエリアは。
 ですから、こういった所の、いろいろな動きや、そういう人たちが盛り上がって、しかも、こういうアートを教えたり、マネージメントを教えたりするような、教育研究機関もある。そういうところを促進すれば、アート都市になれるんじゃないかな、というふうに思います。

加藤: どうもありがとうございました。大阪は思い切りが悪いと。多分国際集客都市なんていうことじゃなくて、国際芸術都市にしようというご意見でした。それでは、続いて山納さん。山納さんの活動について、先ほどの「大阪は芸術都市になり得るか」ということについて、10分間くらいお話しいただきたいと思います。

山納: はい。扇町のインキュベーションプラザ(メビック扇町)という所で、コラボレーションマネージャーをやっております、山納洋と申します。よろしくお願いいたします。
 多分、皆さんが期待されていることと全然違うことを、今からしゃべるんですけれども、僕は去年まで扇町ミュージアムスクエア(OMS)という、200席の小劇場と、60席の映画館、ミニシアターと雑貨店、そしてカフェレストラン、ギャラリー、こういう複合型の文化施設の仕事をしていました。5年間ほどやったんですが、これは大阪ガスグループが企業メセナ的な位置付けでやっていた文化施設です。
 そこが、施設の老朽化ということで、閉館をしまして、本当にたまたまなんですが、去年の5月に扇町インキュベーションプラザという施設を大阪市の経済局が作った。これはクリエーターを育成支援するための施設で、ソフト系のITであったり、デザイン広告映像、仕事としてクリエイティブをやっている人、アーティストとは違うんですけれども、そういう人を育成支援するという仕事させていただいております。
 キタであったり、扇町であったり、また芸術都市という部分はちょっとさておいて話をするんですが、クリエイティブシティ、創造都市という理論概念があります。クリエーターやアーティストの持っている創造性、クリエイティビティを発揮することで都市が活性化していくと。これからは、もしかしたらそういう都市の発展をするんじゃないかというような議論なんですが、この考え方がとてもいいなと思いますし、ここもきっちりと突き詰めていった先に、大阪の道が何かしら開けてくるんではないかな、ということを思っていまして、その辺りをちょっと最近勉強しているんですが、時代的なところまで踏まえて、考えてみたほうが、いいのかなと。そのほうがより地に足がついた議論になるということを思っています。
 大阪という町、特に戦後に目をつけて見てみますと、もともと従来型の繊維を中心とした産業、そして、卸問屋が集中しているような地域があって、商業の町として、また、繊維関係製造業の町として、発展をしてきているんですけれども、50年代に堺・泉北臨海コンビナートというところに、素材型重化学工業と呼ばれるような鉄鋼、石油精製、石油化学と呼ばれるようなものを誘致して、このいわばビッグプロジェクトですね。大阪を何とかしようとしたところがあります。
 結果、住友であったり、三和といった大阪系の企業ではなくて、三井であったり、東京系の企業が進出して、石油化学コンビナートを作ったわけですね。つまり、そこでもうかった成果の果実というのは大阪に落ちない。ただし、深刻な公害を大阪にもたらすという、そういう失敗を実はしてきているといわれています。
 70年代には万博が行われました。この万博の数年前から、万博を誘致するということで、大阪は頑張ってきたんですけれど、6千数百万人の人が来たと。それで大成功といわれています。人が来たということと合わせて、大々的な、アジアで初めて万博を日本でやると、大阪でやるということで、国レベルの予算が落ちるのです。数千億というお金が大阪の市内に地下鉄を造るとか、高速道路を造るという形で、大阪の土地基盤の整理に使われてきたということがありました。
 それ以降、イベントを招致するとか大型の開発をするというところ、例えば関西新空港を造るということであったり、りんくうタウンをそれに合わせて造る。大阪市であれば、WTC、ATC、OCAT、こういったものを作ると。神戸にも空港を造るとか、明石にも大橋を造るとか。こういう形のいわば大規模なビッグプロジェクトこれをやることによって地域の活性化させよう、外から人が来るようにしようとか、また同じく国の予算を取ろうと。多分大阪はそういうことをやってきたんですね。
 ただ、こういう都市基盤整備をするときに、首都、例えば、東京であれば、これは国にとって大事な機能だから、そこに重点的にお金をつけなきゃいけないというのがあるんですが、大阪が第二都市であるという以上、先に東京を整備して、次に大阪をやろうと。大阪に例えば空港を作ろうといったときに、あれは中曽根首相の時代だったそうなんですが、「それは、民間活力を使え」ということで、第3セクターを作って、株式会社として空港を作るという形になったかと思います。それが、地面が不等沈下したり、余計にお金がかかって、今も回収できる見込みがないというふうにいわれています。それで、こういったものの作り方、しかも、国からなかなかお金が流れてきにくいところで、大きな基盤整備をしようと、してきたんだと思います。
 最近、新しいところでは、オリンピックを一生懸命招致しようとしたり、USJの話とかありましたけれども、この辺り、何でこの話をしているかというと、外から何かしらものを持ってきてことを解決しようという形を都市開発と、いわゆる大阪の産業活性化をやろうということを大阪はずっとやってきているようなんです。僕が勉強したところによるとなんですが。それが外からの借り物を持ってきて地元で価値を作っていない。当然繁栄の果実というのは地元に落ちない。それが、同じようなもっとすごいものがアジアにできたら、多分USJもしんどくなるでしょうし、そういうことを繰り返してきているのかなという気がいたします。
 で、今文化という話で言うと、大阪はご存じかどうか、大阪市が作った舞台芸術センターというものは無いですね。また、財団法人として、文化財団を大阪市は持っていません。これを見ていただいてもわかる通り、大阪は行政として、文化的なインフラを市内に作るよりも、もっと大規模なプロジェクトにお金をつぎ込んで、そのばくちに失敗してしまって、今があるという状況を理解していただけると思います。
 ご存じの方がおられるかと思いますが、フェスティバルゲート、これの3セクの失敗で、今や調停で問題になっているようなところがありますが、この施設の中のいくつか(の場所)を大阪市が借りあげてアート施設を作ろうということをやっています。それは、家賃、水光熱費まで大阪市が持って、あとは独立採算で、アートNPOで運用してくださいということをやっていますけれども、今までの流れをすべて聞いていただいて、このことの意味がどういうことかというと、よく考えていただきたいと思っているんですね。扇町のミュージアムスクエアという施設も、これは大阪ガスグループがやったと。民間であったり、NPOが頑張らざるを得ない状況で文化というのが支えられてきたと。これまでもそうだった。そして多分、これだけ赤字がひどくなった行政に、新しく「じゃあ文化財産を作りましょう」とか、「芸術文化センターみたいなものを作ろう」というのも多分難しい。そういう状況があるんだと思います。
 と、いう話と、クリエイティブシティ・創造都市という話について、外から見た話をしたいのですが・・。今先ほどの、重化学工業であったり、製造業の話、例えば、鉄鉱石を海外から持ってそれを鉄板にして出していくとか、石油を精製加工して出していくということは、コストとかスピードとかいう以外の付加価値があまりつける必要がない。それを外に出していけばお金がもうかった仕組み。それに乗っかって大阪といいますか日本の戦後は発展してきたわけなんですが、その部分は海外の、安い労働力でできるところに移っていきます。公害が日本に起こらないようなということでアジアのほうに移転していくという中で、これは大阪だけではないですけれど、何かしら新しい価値、付加価値というものを生み出していく産業を育成していかないと、多分大阪、日本の経済というのは駄目になっていくのだろうと。
 それが先ほどの3次から4次、5次産業をいうことを言っているんだろうと思うんですが、この、価値というものを生み出していくこと。別の言い方ですると、他と違うもの、差異、これを生み出していくこと。他にはどこにもない、そして、ここしかできないというものを作り上げていくこと、そして、それをブランド化していくこと。それが、今度は単に輸出するだけではなくて、多分そういうすごいものができたら、大阪の人が欲しくなるだろうと。そういうものが生まれて、それは、大阪の人だけではなくて、他の地域の人も欲しくなるだろうということになるんだろうと思うんです。
 ルイ・ヴィトンの大型店ができたとかいう記事がありましたけれども、逆に大阪からルイ・ヴィトンみたいなブランドができて、大阪にあると。それを欲しい人が大阪以外にもいるから出店せざるを得ないというんでしょうか。多分そんなふうに付加価値を持った事業、商品というのは、生まれてくるんだと思うんですが、ここを非常によく押さえていただきたいんですが、じゃあ、誰がその価値を生み出す努力をしているのかということなんですね。
 この、創造都市とか、芸術都市といったときに、一番多分よくない振る舞いというのは、「アーティストやクリエーターがいるから彼らに任せて、考えてもらったらいいだろう」ということだと思っているんです。これは多分違っていて、アーティスト、クリエーターのほうもよく見ていて、これ、こういう言葉でくくると駄目なんですけど、はっきりいうと、若いアーティストの中には、「それはモラトリアムなだけなんじゃないの」ということをやっている人たちもいっぱいいます。年輩になった人たちの中には、こうした、芸術表現なり、クリエイティビティかどうかということよりも、何でしょう、既得権益にしがみついているとか、ある種政治家的に立ち回っているだけの人というのはいます。その人が、一体クリエイティブとしてどういう力を持っているのかということを、アーティストとかクリエーターという言葉で、十把一からげにしてしまったときに、見えなくなるということがすごく問題だし、自分でアート活動、クリエイティブな活動をしない人が、そのクリエイティビティがあるのか無いのかということを見極めるだけの力量、お芝居をすごく見られる人のことを見巧者というんですが、みんながこの見巧者になるということであったり、あと、別にアートを使わなくても、ビジネスモデルをクリエイティブに作ることだったら、企業の中にいる人だってできるし、行政も制度をクリエイティブに変えてしまうということは、行政マンでもできるはずなんですね。そういうことをやっていくこと。クリエイティブということが、間違いなくこれからの大阪の新しい価値というものになっていくんですが、クリエイティブを作る作業を人まかせにしない、多分一人ひとりが、どういう新しい価値があり得るのかということを、かなり必死に考えていくこと。いろんな人と情報交換してコラボレートしていくということを、やっていかないといけないと思います。
 クリエイティブ、情報的な差異が価値を生むといいましたが、アートというのはそういうものの宝庫だったりするんですね。きょう、実は昼間にシアタードラマシティに行って、シティボーイズの公演を見てきたんですけど、役者もそうですし、書く人も大変すごいなと思ったり、そこに差しはさまれる映像がすごいなとしきりに感心してくるんですけれど、それは僕が、次にお芝居を作るという形ではなくても、必ず活きてくるものだと思っていて、こういう発想の切り返しがありえるのかということであったり、何かこう物事をつないでもいいのか、ということというのは割とビジネスに実は活きるものなんですね。
 そういうことで、自分の中に大体あるリミットというもの、タブーみたいなものがアートというものは、それを解放する。今までこう考えられていたものではない考え方を、やっていいんだなということであったり、これはこうくっつけるとこう面白くなるかもしれないということの可能性というか、アーティストというのはそういうことをひたすら繰り返している人種だと思うんですけれど。その部分というのが多分、活きるはずなんですね。完全にコンテンツビジネスとしてそれが金を生んでいくということ以外にそういう効果を持っているんだと思います。
 あまり長くなってもいけないんですが、大阪(梅田)・天満・南森町・扇町という辺りに、クリエーターが非常に集まっているという話で、実際にそうです。ただ、大阪には、特にITということでいうと、3つ拠点があって、「心斎橋辺り」と「南森町・扇町辺り」と、「新大阪辺り」といわれていて、特に扇町辺りのクリエーターというのは、あまり顔が見えないんですね。何で顔が見えないかというと、一言で言うと下請け型の仕事をしているからです。テレビ局があったり、新聞雑誌社があったり、印刷会社がいっぱい南森町のほうにあるんですけれど、デザイナーですけれど、印刷会社から受けた例えば、パンフレットとかカタログとかチラシの仕事を、下請け的にSOHOなり小さいデザイン事務所の人たちが作るんです。そういう仕事をしているので、その人の名前が出ない仕事をやっているクリエーターが多いわけです。「このデザイナーに任せよう」という、割とカリスマ化したデザイナーというのはどちらかというと南堀江とか、心斎橋辺りに多いといわれていますが、下請けなので中小製造業と一緒ですね、納期がきついとか、コストが実はすごく安いとかいうことで、あまりそんなにクリエイティブを要求されない仕事がやってくるということ、それにまあ日々、多少ジレンマを感じながら働いているという現状があります。
 そんなものをやろうというのはそもそも、何か表現したいと思って例えばデザイナーになったり、映像を作ったりしますし、かといって学生時代に演劇をやっていたりとか映像を作っていた人が、それでは食えないので仕事としてクリエイティブをやっていたりします。
 アーティストとクリエーターが違うということを言いますのは、お仕事のためにクライアント、代理店がいて、きっちり求められることをしないといけないクリエーターと、アート、アーティストとして自分のやりたいことを突き詰めていく人、ここに大きな溝があるんです。そのアーティストが自分のやりたいことを突き詰めながら、お金がすごくもうかるようになってしまうのが一つベストな話なんですが、例えば大阪でいうと、中之島に「グラフ」という団体がいて、デザイン集団クリエイティブ集団ですが、インテリア、家具を作って、それが売れて、それと一方でアートプロデュースの仕事をしていたりしますし、「PROJECT629」というのを、これは中央区のほうになりますが、アサヒ精版印刷という会社と株式会社一八八(イチハチハチ)というデザイン会社の人たちがやっていますが、これは普段グラフィック広告の仕事を中心にやっているクリエーターの人たちが、年に1回自分たちの大人のお祭をやろうということで、自分たちの作りたいクリエイティブを、50人くらいのクリエーターが作って展覧会をやるということをやっています。
 大体、何かを表現したくて、仕方がない。でもそれでは食っていけないという人は自分の中にその両方のサイクルを持っています。または、クリエーターとして、うまくいってアートのほうに支援をしようという動き方を持っています。ごちゃごちゃと言っているんですが、先ほど小長谷先生がおっしゃったような形で、こういうものは実はいっぱい内発的というか、勝手にやっていることとしてあるんですね。先ほどの大阪の都市プロジェクト、都市開発ということでいうと、外ばっかりを見て大きなものを引っ張って来ようとしていたんですが、地元に実はこういうことがあると、そういうことです。
 クリエーターだけじゃなくて、実は新しいビジネスモデル、面白い事業というのはかなり大阪から生まれているんですが、そのことをよく知ってみること。そしてそれを、大阪の中で評価するし、大阪以外に発信をしていくということをしっかりしないと、今までだって例えばすごいビジネスを思いついた人、すごいクリエーターは、大阪から東京に出て行ってしまうし、世界に出て行ってしまう。それはこれまでも起こっていたので、その意味で言うと、これまでだってクリエイティブシティだったはずなんですね。そのことの評価を誰もしていないということが、すごく問題なのかなということを思っています。
 最後にちらっとだけ言うと、今僕がやっているのは「扇町トーキングアバウト」という、テーマを決めて、カフェに集まってしゃべるサロンをやったり、「Common Bar SINGLES」というマスターが日替わりで変わるバーをやったり、今年の4月に「Common Cafe」という、やっぱりマスターが日替わりで変わる、昼間はカフェ、夜はバーでイベントスペースとして稼動するというようなものを、飲食をベースにお金がもうかる仕組みを、といいますかみんなが支える仕組みを作っちゃって、勝手にやっているということをやっています。はい、以上です。

加藤: いろんなご意見をいただきました。大きくまとめますと、1つ目は、今まで大阪は行政として文化的なインフラを造ってこなかったというのが一つ。それから、2つ目はなんだか今その中で新しい糧を作らなくてはいけないと。しかし、今は大阪から新しいブランドを作るというふうなことです。それは、人任せにしない。
 しかし、大阪では確実にそんな動きが出てきているんだという話をいただきました。そこで、大阪というのは、山納さんの話もそうですけれども、いわば大阪ガスという民間の活躍で新しいことが始まっているわけです。今まで行政の助けによって、大阪の振興をやろうとしたんだけど、どうもうまくいかなかった。大阪は民間の力というのは非常に強いという話をいただきました。そこで、行政のところにいらっしゃいます、塩沢先生、その辺はどんなふうに考えたらよろしいでしょうか。

塩沢: 私は大阪市の公務員なんですけどね、ただ、あまり公務員という意識はない。ただ、行動の上だけ規制されてるんですよね。兼職してはいけないとかいろんなそういうことでは規制されている。しかし、大阪市の新しいプロジェクトを自分で決定するということはありませんので、むしろ横のほうから見ている形になると思うんですけど。財政事情が非常にきびしい今の段階で、大阪市や大阪府にいろいろ言っても仕方がないなと思うところが多いんです。
私はむしろ反対に、今のように、困っちゃったからむしろ新しい可能性が出てきているかなと考えている。
というのは、かつては結構余裕があって、しかも国のほうから少しお金を取ってくれば何かできたんですよね。大きなプロジェクトができて、それをやるとしばらくうまくいくように思える。思ってしまう。実際何もできなくても何か大きなことをやったような気になってきた。これからはそういう、何かどかんと建物を建てるといったことは、もともとお金の点からできなくなってしまっていますから、行政の人たちもきちんと考えなければいけなくなっている。私も小長谷さんも、審議会なんかで時々発言したことがあるんです。そこで何か、いい案を出せばいいという話ではすまなくなっているんだろうと思うんです。民主主義の基本というのは、こういうところでみんなが議論をして、こういうものを作りたい、と決める。それを自分たちの税金を使ってやる、または、税金ではなくて、NPOみたいなものでも、自分たちの寄付金でやる。そういうことがあって初めて町というのは伸びていくんだと思います。全然そういう可能性がないわけではない。大阪は、少なくとも江戸時代はみな自分たちで橋を造り、町を造ってきた町ですよね。伝統はあるはずなんです。それが目に見える形でこの昭和以降、なかなか見えていない。皆さんのお知恵を拝借したほうがいいのではないかと思います。

加藤: まさに大阪というのはそういう町だと思いますけれども、きょうは実は行政の方が1割ぐらい来られているんです。オスマンをはじめとして、また反論はあとにしていただくとして、行政、つまり、例えばパリなんかは行政が非常にしっかりしていたと。それで芸術都市を造ったというようなことがあります。
 李さんなんかは、案外というか、行政に通じているところがありますので、李さん、少しお話しください。

李: 行政のことについては、ほかの方は悲観的かもしれないけれども、私は非常に楽観的に考えています。実際に3つほど公共プロジェクトにかかわっていますが、今の段階では私はそんなに不満がないんですよね。結局何でそうなっているかというと、基本的に行政と一緒に仕事をしていく場合には、やはり人任せということではなくて、きちんとした全体のビジョンをはっきり打ち出した上で実践していく具体的なプロセスを示すところまで関わらないと意味ないと思います。ただ単なる理想ばかり言ったって机上の空論をいくら並べても何の効果も期待できません。うちの大学も実際的に実行していくプロデューサーをどんどん養成していこうとしてサテライト大学院を創った訳ですが、そういうプロデューサーが不在では日本の将来はそれほど明るくないのではないかなという気がします。
 行政と民間が一緒に仕事をしていく場合は、すべてをまとめていく人をきちんと設定すべきです。例えば一人のアーティストに任せたってしょうがないという話もありますが、ファーレ立川の場合でも北川フラムさんが全体的に200人ぐらいの世界中のアーティストをピックアップして、その人たちにこういった条件を持って、街全体の構想をイメージしてほしいというビジョンをもってみんなが個人的に創ったわけです。作品は個人的なものですが、それが街のイメージとしてつながれば、街は大きな力を発揮します。そういったことをまとめていくプロデューサー的な役割、それと全体的な都市のビジョン等を、実践していく場合の細かいビジネス的な話とか、そういったことの全体をまとめていく人を、日本はもっと育てていかないといけないと思います。ただ単なる理想ばかり言ったって仕方がないし、しょうもないものを実践していくこともあまりよくないと思いますので、その理想になるようなものと実際に実践していくものがうまくマッチしていけば、もっとよくなっていくのではないかなという気はします。
 それともう一つは、先ほど提案のところで申し上げたように、街というのは生き物ですから、単なる昔話をしていても新しい街というのは出てこないし、生まれないと思います。ですから、必ず何かを一つずつ、もちろん起爆剤になるような新しいものを古いものに加えていかないと、古いものばかりに慕っていっては、その街自体が廃れていってしまうのではないかという気がします。

加藤: 行政にといいますかそれに関連して、頼まれた人は、ビジョンはいいとして実践をしていく、そういうプロデューサーが必要だと、それで行政も伸びていくだろうというご意見でした。手前みそになりますけれど、今年の4月から菅原先生がここの大学にいて、実はデザインMBAというのを作りまして、これは今までの大阪の方々が単なる「もうかりまっか」というのではなくて、もっとデザインをよく知った人に経営者になってもらいたい。あるいは、先ほど、李さんが言いました「もっとビジョンをはっきりと持って、プロデューサーを作りたい」という意図でデザインMBAというのを作っております。今年の4月から始まっております。そこにパンフレットがありますのでお持ち帰りください。
 そこで、時間が、まあいいんですけれども。そこで、今行政の話が出ましたので、行政の方が10人ほど来たので、やるわけですが、もし、行政の方で何かご意見、ジレンマですとか、そういうものがありましたら、ぜひ一言何かご意見をいただけたらと思っておりますけれども、いかがでしょうか。何でも結構です。
 では、ほかも含みまして、一応皆さんにお話をいただきましたので、今までのお話の中で、ご質問とかそういうものがありましたら、挙手をしていただきまして、ちょっと質問を受けたいと思います。

男性1: 早々と、一番ということでお恥ずかしいのですが、芸術の町とか、そういうわかったようなわからんことで、繰り広げていくよりも、私、66歳になりました、1月31日をもってちょうど商売もあかんようなりまして辞めましたし、定年の年齢にもなって年金も少しもらえますという中で、某学校を受けましたのですけれども、めでたく落ちましたもので、あちらこちら講座をいっぱい拾って歩いております。
 それについて感じたところでは、やはり中高年層の集まる人数、場というものはすごいものがあると思います。これらを、この大阪、特にキタ地区で、いわゆる、これらの中高年たちが集まるのに一番楽しい町、全国から梅田へ来て楽しいと、いわゆる中高年層の町、人々が集まってもらえるような町を、ちょうど私が地権者のこともありまして(まちづくりを)やっておりますけれど、やはり、地権者と、いわゆる大企業のはざまにおいて、どういう町にしていくかということは、なかなか難しいものがあると思います。やはりそういうことから言えば、地権者を教育していかなければならない。これが、そこそこの大きなプロジェクトだけでなくて、いわゆる中津とか中崎町とかいうところに、みんな、お住まいの方にそのかかわり合い、それに対する町をどのような町にしていくかと、それで、そこへ大きなところが買収に来たらどのように対処していくか、という問題ですね。この茶屋町にしたところで、阪急以外では、この茶屋町では、言っておられたように、大阪のところはありません。東急、ホテル東急です。ロフトです。そういうふうな感じで東京勢が今後とも押し寄せてくる可能性があります。
 その中でできることが何かといえば、身近なことから言えば、例えば、中津3丁目に夏になると未だに夜店が建ちます。細々とした夜店です。けれども町ができなければ、夜店でもいいじゃないか、そこへ人が集まってもらえればいいんじゃないか。私、若いころからカメラが好きなんです。もう今まで、そうですね、20台前後カメラを買い替えています。というのはお金がなかったから。だから、売っては買って、売っては買って、売っては買ってしてきていますが、今カメラ屋さんを見てください。古いカメラがいっぱいあります。それは、ほとんど頭の中では知っております。そういう古いカメラ、古物グッズ、そういうふうな夜店、市でもいいじゃないですか。例えば、おばあちゃん連中の天王寺さん参りの道すがら、そういう楽しみの求められるような、場所だけをそのように限定しないで中高年層、壮年層が楽しく集まれる町というふうな考え方を、一つ大阪で先駆けてほしい。「大阪を参考にして、やっていこうやないか」と言われるようなことを考えていただけたらなと思います。

加藤: わかりました。どうもありがとうございます。若者の町というふうに今話が出ていたわけですけれども、忘れちゃいませんか、中高年者を忘れちゃいませんか、というような話でした。ではこれに対して、塩沢先生いかがでしょう。

塩沢: 確かに、私も今60歳なんです。まだまだ長生きをするつもりだから20年、30年、大阪で何かやりたいなと思っています。大学院の授業でいろいろなプロジェクトの話をする。この別の火曜日も高齢者とか老人向けのサービスが話題になった。それが全部、介護とかで、これはちょっと間違っているんじゃないか。病院に入ったからというのは仕方がないんですけれど、それ以前にお金を持っている人は多いんだから、その人たちのお金をきちんと楽しく使ってもらえるサービスが必要ではないかな、ということを言ったんです。
 おっしゃる通りなんですけれど、「考えてください」ではなくて、これはやはり若者が高齢者向けのものを作るなんて無理ですから、自分たちで作らなきゃいけないと思うんです。今おっしゃられた方も、自分で「こんな空間を造りましょう」という提案をしてほしい。そしたら、1箇所できますよね。ほかの所にまたそれをまねして広がっていったらいいのではないかと思います。

加藤: そうですね。またまた、手前みそになりますけれども、実はここの大学には60過ぎの方々も来てるんです。さらに定年後、芸術を学ぼうとして来ています。そうやって、年寄りの方もいかに芸術的な生き方をするかということも、また一つ大事なことではないかと思います。山納さん、今の意見についてはどうですか?

山納: どういった言い方をしましょうか。「扇町トーキングアバウト」という企画の話を先ほどさせていただいたんですが、これを始めるに当たっていくらか経緯があるんですが、一つの経緯が、扇町ミュージアムスクエアという施設の予算が取れなくなったことなんです。もともと広告予算であったようなところが削られてきて、『ぴあ』に毎回の広告が出なくなると。パブリシティが出なくなったら認知されなくなるとなったときに、では、ほぼお金がかからない企画の立て方をしたらいいんだろうなと思って、テーマを決めてそのテーマについて集まった人が勝手にしゃべっていると。別に3人集まっただけでも、これは、一つイベントをやりましたということにしましょうということにして、事務所のコピーを使ってチラシだけ作ったんです
 で、デザイナーさんに「うちの扇町ミュージアムスクエアの映画でも演劇でもただで見ていいから、ごめん、ただでデザインして」と言って、やって、本当にただでイベントをやってしまったんです。イベントをやる、何かを仕掛けるというときに、すごくハードルが高いと思われるんですが、3人カフェに集まってただしゃべるだけ。主催の人にギャラも払わないし、来た人からも参加料をもらわないという経済の絡まない仕組みにしてしまうと、実はイベントというのはとても簡単にできてしまいます。
このトーキングアバウトの中で、4回やって人が集まらなくて止めた企画で、仕事の話をしましょうという企画をやったことがあるんです。これはもう一つハードルが低くて、なぜ低いかというと、誰でもできるんです。例えば、哲学の話をしようとか現代音楽の話をしようというと、ちょっとハードルが高い感じがするんですが、集まった人が、例えばシンクタンクの人だったら、シンクタンクの仕事はこんな仕事ですとか、学校の先生だったら学校の先生の仕事はこうとか、町工場の人だったらこんな仕事を日々やっている、みたいな話をして、ほかの人がみんなそれを聞いて質問をするという。
 それを、どこかのカフェの一角でやっているというイベントにしてしまえば、日時と場所さえ決めたら誰でもできます。老人の、年配の方のための何かイベントを大きく立ち上げるという考え方は割と大変なので。では町づくりがいいのか、アートと都市再生がいいのかがわからないのですけれど、何かテーマを決めて、では何日、何時、ここでという、何かそんなことから始めて、できるだけいろんなものをいろんな人が企画している状況を作ればいいのかなと思っています。
 さっきの、ある特定のアーティスト、クリエーター、プロデューサーに頼らないということが、僕は大事だと思っていて、みんなが少しずつ、クリエイティブを発揮する。で、町で、それぞれ何かをしかけていく。そんなものの集積があって、それがきちんと正しく外に発信されているということでいいのかな、という気はいたします。

加藤: どうもありがとうございました。まさにそうだと思います。それでは、何かほかに質問がございましたら。

男性2: 座って失礼します。私はちょっと遠いんですが、渦潮と阿波踊りの町、コ島からはるばるやってまいりました。瀬戸内海の向こうから大阪のほうを向いていますと、大きな打ち上げ花火が時々上がるんです。それは万博であったり関西空港であったり、USJであったり。そのあとがなぜ続かないんだろうかと、これが一つ教えていただきたいんです。
 それと先ほどの塩沢先生の扇町構想の中で考えられておりますのは、点在するのか線でつなぐのか、それとも一つの大きなプロジェクトを立ち上げるのかそれを教えていただきたいと思います。それと、茶屋町の李先生のほう何か、大きな箱物のプロジェクトを構想されたとスライドで見たんですが、そのときに既存の町並みと人とのかかわり合い、これをどのように融合されていくのかいうようなことを教えていただければと思っております。

加藤: 3つほどご意見をいただきました。1つは大きなプロジェクトがなぜ長続きしないのか、これは小長谷先生にお願いしましょう。

小長谷: それは難しい話なんですけれど・・。先ほど行政へのお願いというのがあったんですけれども、大きな都市整備があった場合に、こういう周辺地域への支援ですよね。それもNPO的なものへの応援、これからでしたら、欧米的に言うとNPOであったり、あるいは学校であったり、例えばこの『アート拠点調査』の最後にありますピエロハーバーという中津のガード下を利用した再開発なんですけれども、これは大阪府のコミュニティービジネス(CB)支援事業に採択をされております。ですから、これから、大きな再開発が予定されているキタはまた、ますます中心部分は活気があると思うのですけれども、それだけでなく、そういう周辺のものですね、これを支援していただければというふうに、取りあえず、それで。第2の質問は。バトンを渡します。

加藤: 塩沢先生、第2の質問は、要するに点で考えるのか、面で考えるのか、あるいは線で考えるのかという話でした。

塩沢: 個人個人はみんな点ですよね。で、その人たちがつながればそこに線ができるんだと思うんです。何かそれをプロジェクトにしてということはあんまり考えてないんです。皆さんが動く。そこに一つの方向性と名前ぐらいがいるんじゃないかな、ということなんですけれど。ですからどんなものかと言われたときに、具体的にはアモルファスというのがあるでしょう。太陽電池か何かによく使われる、あれは結晶ではなくて原子の並び方がめちゃめちゃなんです。それでも一つのきちんとした機能を持っているものがありますので、何かそういう形でうまく動いていけばいいなと思っているんです。

加藤: 最後に李先生、李先生への質問は、ちょっと……。

李: 茶屋町のプロジェクトを学生の課題として与える前に、阪急不動産と開発組合の方々に来ていただいて、どういうビジョンを持って、今その事業に挑んでいるかということをまずお聞かせ願いました。そうすると、やはりその、行政的なこととか、組合の言い分というのがかなり強くありました。それは結局、私は、長い目で見れば、みんなが注目する街の持つブランド性とか、建築の持つブランド性みたいなものを引き出すようなもので、デザインにならないと、その街は元気にならないという印象を受けました。
 ブランドの話ですが、宝塚造形芸術大学の産業デザイン学科では、今環境トータルデザインとファッションデザインとビジュアルデザインという三つのコースが合同でコラボレーションするブランドコミュニケーションという授業があります。それは、なぜ街を、建築をブランド化しないといけないかがよく解る結果になることが多いですが、それを阪急不動産と組合の方に理解して頂くために学生が作ったものをプレゼンテーションしたことがあります。
 それと、さっきおっしゃったように、茶屋町という歴史をどのように建物に落としていくかということなんですけれども。一つは、さっきも茶屋町というのはもともと遊園地であると言いましたが、そういった歴史を新しい形としてどのようにデザインするかを学生はみんな工夫しました。そうすると、こんなもったいない空間を造るというのは、多分通らないでしょうという話もありました。どこにでもあるようなプログラムが決まっているものでは、そのプログラム自体を変えない限りではブランド性というのは生まれないだろうとも思いました。そういう意味で建築のプログラム性が非常に弱かったという反省もありますけれども、それはもともと向こうからの要求をわれわれは実践的に作っていくことだったので、そういうことになったわけです。
 そういったやり取りの中で一つ思ったのは、やはり日本の再開発において、そういうシステムがある限りではブランドのある街にならないような構造になっていることに問題があると思いました。それをどういうふうに打破していくかということですが、やはり強烈なビジョンとコンセプトと、ビジネス的なことを実践していくようなものを、全部誰かが、先ほど申し上げたプロデューサー的な人が、強烈にまとめて、それを最初から最後まで引っ張っていかないと、多分、日本の再開発というのはただ箱ありきで、中にいろんな新しいといってもそれほど新しくないプログラムでどんどん作られていって、街に対するブランド性を高めるようなものはそれほど生まれてこないな、ということが一つわかったことでも、非常に重要な成果だったんですけれども。
 だから、そういったことをどうやって解決していくかという実践的なことは、やはりお金が絡むので非常に難しいことは難しいんです。しかし、ブランドの持つメリットを着実に実践し、理解してもらおうとして試みています。今、阪急不動産にもたくさん頼みまして、現在進んでいるプロジェクトがあったら、学生の課題として提案させてほしいとお願いをしております。今4つほど、駅前の再開発とかいろんなものをいただいていて、それを今年また学生の授業でやっていくんですけれども。その中で大学と企業のかかわりをもっと密にして、それでお互いにメリットがあればと思っています。彼らにとって一つ成果があったのは、うちの大学の学生が提案したものに対して、非常にコンセプト的にデザイン的に刺激を受けていることです。「こういったものができたら、本当はいいですよね」という人がたくさんいまして、でも、何でこれが実現できないかということはやはりお金のことが絡んでいて、組合の方の意見が非常に強いわけですから、そこら辺の不満とか反対とかが出てくると、なかなか進めないという現状もありました。それを、もっとそういう企業と密な関係を持ちながらわれわれが提案して「こういうふうにすればいいんですよ」ということがわかるまでに提案していったらいいのではないかというふうに、私は今思っています。

加藤: まさに、菅原先生が最初に言っていました「大学の力」というのもばかにならないということですね。ほかに質問はございますか。

男性3: きょうはありがとうございました。先ほどご紹介にあずかりましたピエロハーバーの高田と申します。塩沢さんの会で関西ベンチャー学会の委員もやっています。きょうのグリーンの冊子(『アート拠点調査』)の84ページに掲載させていただいたのですけれども、ここにもあるように、今度9月1日にグランドオープンする予定で、阪急中津の下の国道の下に、劇場とフリーマーケット80店舗ぐらいと、あとバレエとか演劇のレッスン広場と、あと映像のスタジオをいれるような施設を造る予定です。
 ここに書いてあるように、毎日自治会長さんがお菓子を持ってきて、地域の密着した形で事業を行っていこうというふうに考えています。大阪府のこのコミュニティービジネスのほうにも去年選定された事業です。今回考えているのは、きょうの先ほどのお話、今、李先生のお話があったように大学を活用したいというふうに考えていまして、この宝恆「形から歩いて5分ぐらいの場所なんですけれども、いわゆる産学連携ということで今後事業を行っていきたいというふうに考えていまして、またこの宝恆「形さんとの産学連携も考えております。そういったお考え等、もしありましたら、私の方でもいろいろ考えがあるんですけれども、一緒にできればと思っていますけれども、その辺どうでしょうか。

加藤: わたくども宝塚造形芸術大学がこのキタに進出してきたのは、一つは、皆さんにここで学んでいただこうということもありますけれども、この地域で、いわば産学協同といいますか、こういったことも一つの出会いとしてあります。それはまた当然ながら、皆さんとご協力して、芸術都市大阪キタのエリアを造っていくという課題に対して挑戦していきたいと思います。

男性3: はい、わかりました。

男性4: 今、産学というふうにおっしゃいましたけれども、今、産学の次に産学地域というものが出てきて、大学と地域との間に行政が入って、今動いていることがたくさんあります。たくさんあるというか、今、私、国交省の近畿整備局から委託されまして、京橋のところで歩道空間のデザインを大学が受け持って、その間に近畿整備局が入って、地域の人と大学がとりあえず意見をまとめて、それを行政に提案して、行政がそれを進めていくという新しいシステムも出ているので、産学だけではなくてこれから地域も出てくると思うんです。だから、その辺を含めて、もっと活発的な交流を計らいながら、具体的な案を実現していきたいなとは思っております。

加藤: よろしいでしょうか。はい。

小長谷: 行政のほうにちょっとお願いしたいんですけれども、これからの町づくりは学校が核ということが、非常にやはり知識の中心みたいなところがあると思うんです。
実は私の本業のほうをちょっと紹介させてもらいますと、ニューヨークの中心に大体ITの会社が5000社ぐらいいる、「シリコンアレー」(シリコン横丁)という場所があるんです。これが非常に有名なんですが、実は、これができたときに非常に驚かれたんです。というのは、普通、そういうマルチメディア産業の集積地ができるときには、かならず理工系の大学が中核にあるのが法則だったんです。有名なのがシリコンバレーで、これはスタンフォード大学といって、非常に理科系の強い大学がある。そこからベンチャーのヒューレットパッカードとかいろいろ学生が興していくわけです。
けれども、ニューヨークの真ん中には、一つもその理工系の学校がなかった。それなのにITの町ができたわけですね。その秘密は、1つだけニューヨーク大学の分校があったんですが、これがデザイン大学院なんです。
実はこのシリコンアレーができた90年代の始めというのは、すごくIT産業に大革命があって、それまでは理工系のハード優先の世界で、速さをいかに速くするかとかで決まっていた。ところがそれに対して、インターネットのサービスでコンテンツといって、ソフトとか、何をアートで入れるかとか、そういう芸術系の方がハードよりはるかにビジネスとして大きくなってきた。そういうデザインをみんな、そのニューヨーク大学の分校の先生が普通の授業で、社会人教育で教えたんです。それが、ニューヨークの町中でいろいろな会社、クリエーターが出てきて、すごい地域になったことの種明かしだったです。ですから、ここのキタもちょうどデザイン大学院があるわけなんですね・・。
 うちの大学院のほうもちょっと紹介させてもらいますと、実はうちは駅前第2ビルで、隣の駅前第3ビルにロボット研究所ができる予定です。これは恐らくあとで梅田北ヤードに行くものの実験プレ段階だと思うんです。
けれど、はっきり言って2ビルや3ビルは今がらがらなんです。ですから、僕は、逆に言うと、「ピンチはチャンス」で、がらがらになったところに新産業、知識産業を入れることによって素晴らしい21世紀型のまちになると思うのです。これは船場もそうですね。実は、メビックにも学校機能がありまして、山納さんが「扇町クリエイティブカレッジ」という講座ですね・・これが「扇町創造村」と1文字しか違わないんですけれども・・やはり、こういう、教育機能があるということで学校を核にして、この扇町、キタもクリエイティブにしていくことが大事かなというふうに思います。

加藤: ただ、今梅田では大学院が28校サテライトを造っているんです。28校ですね、28校。まさに大学が町の中へ出てきたんですね。大学のほうも模索しております。従って、皆さんも、大学をいかに利用していただくか、みんながそう考えていただいて、今後勧めていただいたらいいかと思います。きょうは、実は塩沢先生のほうから「大阪を芸術都市にしたいのだ」という提案がございまして、これでシンポジウムもやりましょうと、そこで、うちの大学でやりまして、まず取っ掛かりを作りましょうということで始めたわけです。これは連続シンポジウムといいまして、こういうシンポジウムを年に3回ぐらいは打っていきたいと思います。次回は9月を予定しております。次回は私どものほうで企画しますけれども、クリエーターとかデザイナーの人たちに集まっていただいて、シンポジウムをやっていきたいと思います。またご案内いたしますので……、9時をちょっと過ぎました。デザイナーとかアーティストは時間にルーズだと言われるのが嫌ですので、これで終わりにしたいと思います。最後に一言ずつ、30秒でお願いします。

塩沢: 友達の友達の友達の友達だ、とありますね。4回、5回繰り返すと日本中全部つながっちゃうというんです。ここに今60数名の人がいるんですけれど、皆さんが自分の友達と、きょうのようなことを話したらバッと輪が広がるんです。一度北区のどこでもいいですからこういう話をしてくだされば、たちまちこれは大きな動きになると思います。お願いします。

山納: はい、さっき、何て言ったかな。付加価値を生まないといけないというような話をしましたが、今若い人たちを見ていると、すごく、雑誌を見ていたり、カフェに行ったりファッション、おしゃれだったりするんですが、このクリエイティブというのでしょうか、そういうものって蓄積するんですね。どう蓄積するかといったら新しいカフェができていって、そこのカフェ、ダサイ、もう駄目、みたいなことになっていくんです。これは良いか悪いかわからないですけれど、こんな球、あんな球を、この人があの人がここで投げていたというのは全部蓄積されていて、新しい価値、新しい才を生み出すというのは、それよりも速い球を投げなければいけないということなんです。若い人は、多分、これからはデザインの時代ですとか、これからブランディングですと言って、その人の服がダサかったら多分笑っていると思うんですけれど、さっきクリエイティブにならないといけないといったのはそういうことなんです。みんなが蓄積をしている、若い人が何に感度を持って何を蓄積しているかということをまず知って、それよりも、それを越えていく球を投げるということ、それが先ほどの価値を生むということなのかなと思っています。

小長谷: 先ほどの年齢の話なんですけれども、僕はそのシリコンアレーみたいな話を昔したときに、偉い長老の先生が「小長谷君の話は若者のまちというのが何回も出てくるので、僕は寂しいよ」というふうに言われたんですけれども・・そういうときは、「いや、それはですね、精神年齢の若者です」と説明しています。実際、うちの大学院も上は60ぐらいから皆さん来てらっしゃっていて、それは肉体年齢は関係がなくて、精神年齢が若ければ、クリエイティブであれば肉体年齢は関係がない、というふうに解釈いただきたいわけなんです。

李: 私たちの大学と姉妹大学と言っても良いような大学の中でニューヨークのSVA(School of Visual Arts)という大学があります。そちらの主任のシプリという人がいますが、その人が日本に来て、いろんなことでしゃべっているうちに、ニューヨーク大学には、舞台が大学の中にはないという話をしていたんです。ないというのはちょっと大げさなんですけれど、そんなに大きなものはないと。それはなぜかというとニューヨークそのものが舞台であるということで、大学が別に舞台を造る必要はないんだということを聞きまして、なるほどと思ったことがあります。大阪も大学の舞台のような街になれば非常にいいかなという感じがします。それともう一つは、何でも受け入れられるような、幅の大きい街になってほしいなと思います。いろんなものが交じり合うコラージュシティみたいなものになれば一番大阪としてはいいかなという感じがします。

加藤: それではちょっと時間がオーバーしました。申しわけございません。これでシンポジウムを終わらせていただきます。また、ご案内いたします。何度もこういうシンポジウムをやっていきたいと思います。ありがとうございます。

(拍手)

菅原: はい、どうもありがとうございました。加藤先生のほうで時間を切っていただきまして何とか第1回目ができました。塩沢先生のおっしゃるように、みんながやはりひとりひとり参画をするという・・。私のほうも研究しておりますが、やはりアメリカも80年代ぐらいから、上から命令でどんどん進んでいくというコマンド&コントロールという時代は終わったと。役所とか国立大学とかそういう面で行くのではなくて、やはり一人ひとりの市民が自立的に意見を出し合っていく、パーティシペイティング・プランニングと参画的計画というのがありますね。やはりそれによってみんなが、参画した人も参画しなかった人もクォリティー・オブ・ライフと言われていますけれども、やはり生活の豊かさを表現しているわけです。だからそういう意味で今回、きょう、シンポジウムの先生方がかなりお話しいただいた、2、3コメントをいろいろいただいたりしておりましたけれど、これがもっと、わいわいがやがやの、そういうグループでどんどん議論し合っていくそういう形にしたい。また、われわれの建物も皆さんにお使いいただければ・・。一番立地のいいところへ建物、人が集まりやすいという、うちの理事長なんですが、それを皆さんが大阪の活性化に少しでもお役に立てられればということで。きょうはその第1回目でございまして、きょう、うちの若手の先生方、かなりやる気でしていただいておりますので、いろんな問題をひとつひとつ対応していきたいと思っております。
 われわれもこれから、地域対応とか、産業界との接点がどれだけあるかということで、みんな数値目標が設定されて、3年先にいって評価されるわけです。いわゆるそれの出来の悪いところが、格付けがどんどん下がっていくということで、ぜひ、興味のある方は、ご協力いただいて、産学の連携が非常に活発にいくことによって、大学の評価も上げていくという、そういう面でのご協力、ぜひいただければと思っております。
 そのようなことで、われわれも今回どの程度お集まりか、全く予想がつかないで、小長谷先生から「何名ぐらい集まりますかね」なんて聞かれたんですが、「全くこの場合、予想がつきません」と言っていたのですが、きょう、これだけお集まりいただけたということは、やはりそれだけ、皆さんも関心度が高いし、「やはり、何かやってみたいな」という意欲でお集まりの方々ばかりと思います。ぜひそういう場を、われわれ大学のほうも協力しながら接点を設けていきたいと、塩沢さんにもまた、いろいろお話しさせていただこうかなと思っていたのですが。ぜひ、そういうことで、次回またお集まりいただけたらと思います。では、時間も長くなりましたのでこれで終わりたいと思います。皆さん、どうもご苦労さまでした。

(拍手)



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