老松西天満アートストリート構想
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 老松西天満アートストリート 研究成果

『創造村をつくろう−大阪・キタからの挑戦』
(晃洋書房、2006年)
「第U部第3章 北区の創造的活動と創造的街区」
 小長谷一之(大阪市立大学大学院創造都市研究科)
 田中登(RIA)
 牛場智(近鉄百貨店)
1.いまなぜ北区なのでしょうか?
 第2部では北区の問題を取り上げますが、この章では、北区の創造的活動と創造的街区を概観します。
 大阪市北区は、大阪のみならず、関西最大、西日本最大の中心地です。交通流動の面でも西日本一の規模を誇ります。つまり、大阪一どころか、西日本最大の人・モノ・情報の集中地なのです。その理由はいくつかありますが、他の大都市、たとえば東京などを例にとり、都市論的にみるとわかりやすいと思います。現代の都市は、単純な職住一致ではなくて、まわりの郊外に住宅をもち、そこから通勤する人々の集合体です。この、通勤圏まで含めた広がりを都市圏といいます。そうすると、都市圏内の(通勤)交通の中心と、都市圏内他都市への交通の中心、また日本の国土交通の発着地などの複数の機能が複雑に必要になってきます。
 東京では、東京駅が国土交通・(一部)他都市へ行く交通の発着点です。しかし東京は住宅地の重心が西部にあるが東京駅自身の位置が東部にあるので、(通勤)交通の中心は、西部の新宿・渋谷・池袋などのいわゆる「副都心」が機能分担しています。
 ところが、大阪では、いわゆるキタ(北区のJR大阪駅、阪急・阪神梅田駅、地下鉄東梅田・西梅田・北新地駅)のターミナルが、国土交通の発着地であるだけではありません。関西都市圏は「京阪神」といわれるように東京と違ってもともと三都構造なので、他の大都市である京都や神戸への交通も非常に重要ですが、それはやはりキタのターミナルが中心となります。また、(通勤)交通においても、もっとも規模の大きい北部通勤圏の通勤交通の中心も兼ねています。このように関西都市圏ではキタが三重の役割を兼ねているのです。これは東京圏でも見られない現象で、いかにキタが重要な位置にあるかおわかりいただけるかと思います。
 ターミナルであるキタは、21世紀の初頭において、阪神ハービス地区の開発、阪急の高層化、JR等の立て替えに加え、北ヤードの大開発も控えています。そのため、衰退してきた地域の多い大阪のなかでも、キタのターミナル周辺は例外的に活気があります。
 しかし、本当に大切なのは、駅前だけでなく、その周辺のまちづくりなのです。このことは、これまで大阪市が行ってきたUSJやフェスティバルゲートなどの開発の例をあげるまでもなく、拠点的な開発をする時には、その周辺の活性化を同時におこなう絶好のチャンスなのですが、大阪ではこれまでそうした面をあまり重視してこなかったのです。上記のように、いまはキタのターミナルに開発が目白押しであることから、まわりのまちづくりを真剣に考えるべきときに来ているといえます。
2.北区の性格
 北区は、歴史的に、他の都市、特に近世では京都や東西の街道沿いの交流の玄関口であり、他からの人・モノ・情報が出入りする結節点であり、このことが進取の気風を育ててきました。特に江戸期以降、街道が整備されると、国土軸である東海道・山陽道へ直接開かれたキタの重要性が高まっていくことになります。
 近世には北野天満宮や寺町などの寺社・武家町などの街区があり、当時の大阪としては専門職・管理職の人間が比較的多くおり、梅田の大ターミナルの開発後はビジネスや商業の中心としての性格も付け加わりました。大阪の中では、歴史的には、専門職・管理職の街であり、開放的な商業・歓楽の街であったということができます。
 北区の特徴としては、このように大阪の玄関口であり、専門職・管理職の活動の場であったことから、開放的性格やモダンな雰囲気があげられると思われます。
 以下に、北区で活動する創造的活動や創造的街区の例をあげますが、そこに見られるのは、いろいろな異質な要素を組み合わせたり、結びつけたりすることによるコラボレーションを行うキーパーソンが大きな力となっていることです。このようなコラボレーションが起こりうるのも、開放的な土地柄があるからで、閉鎖的な地域性では不可能でしょう。
 昨今のビジネスやまちづくりは自由競争の時代に入っています。その中で成長していくためには、他のビジネスやまちづくりと同じことをやっていては勝てません。それではますます競争が厳しくなり、パイが減ってしまいます。競争の時代で最も大切なのは「差別化」、すなわち、他のビジネスやまちづくりと違う個性を出していくことに他ならないのです。その差別化を作り出せるのはイノベーション(広い意味での革新)です。
 イノベーションを生み出すためには、これまでと同じ発想を超えることが大切です。そのためには新しい視点を導入することが必要で、そこでは、異なったものが混じり合い、交流するコラボレーションが非常に重要な意味をもちます。つまり、
   ◎コラボレーション→◎イノベーション→◎差別化→◎成長
ということなのです。
 コラボレーションを起こすためには、開放的で新しいものを取り入れる進取の気風が必要です。北区にいろいろな新しい創造的活動や創造的街区が生まれてくるのも、こうした土壌があるからでしょう。
 ここでは、第2部の導入章として、北区の拠点であるメビック扇町(大阪市の北区扇町にあるインキュベーション施設)や商店街の例で、イノベーションを実現しつつある主人公達(プレイヤー)の例を紹介していきます。
【図1】
3.北区発の創造的なベンチャー
【例1】チーム大阪を生んだコラボレーションの先見性−ニルバーナテクノロジー
 ニルバーナテクノロジー(メビック扇町)の社長で関西学院大学教授の中津良平氏は、1971年京都大学大学院を卒業後、日本電信電話公社(現NTT)武蔵野電気通信研究所入所、主として音声認識の基礎研究、応用研究に従事、1990年NTT基礎研究所研究企画部長などを経て、1994年NTTの国際高等技術研究所(ATR)の知能映像通信研究所の社長に就任し、数々の業績を上げた人物です。
 この中津氏がATRの知能映像通信研究所の社長だったときのことです。知能映像通信研はその名の通りコミュニケーションの専門家の集団なのですが、中津社長はそこで当時純粋な機械工学の専門家であった石黒浩氏(当時京都大学助教授、現大阪大学教授)を招いて、両者のコラボレーションを図ったのです。この結果、見事にソフトの視点とハードの視点の融合が起きました。こうして生まれたのが有名な「ロボビー」シリーズの基礎となるロボットの制御系だったのです。その後、石黒氏は大阪大学にいき、このATR起源のシステムが土台となって、ヴィストンやシステクアカザワなどとの協力により、2005年ロボカップ大阪大会のチーム大阪のヒーローとなった「ヴィジオン(Vision)」が完成します(このATR製システムに近いものとして、そのほか、三菱系のロボットなどにも広く使われるようになっています)。
 中津氏はその後、北区のメビック扇町でロボットデザインベンチャーを立ち上げていますが、異なった領域を結びつけようとする氏の発想は自由でとどまるところを知りません。その一つが舞踏という身体文化とロボットとの融合です。現在ニルバーナテクノロジーの開発する「太極」君が学ランを着て気志団の応援団のマネをする動きは見事で、舞踊や伝統芸当、体操など、身体技法を伝達したり伝承したりするのに役立つと思われます。また観光など思わぬ応用も考えられます。
 チーム大阪を生んだのは扇町のベンチャー社長のコラボレーションによるイノベーションだったのです。

【例2】ITを人間化し若者の創造性のレベルに持ってくるしかけ−ドーガ
 プロジェクトチーム・ドーガ(メビック扇町)代表の鎌田優氏は、大阪大学工学部在学中の1985年に阪大コンピュータクラブ、京大マイコンクラブを母体に、CGアニメという新しい分野の技術の振興を目的とした大学発ベンチャープロジェクト「PROJECT TEAM DoGA」を設立した人物です(以後代表をつとめる)。
 大学卒業後、1987年に松下電器産業株式会社に入社し、コンピュータ事業部、メディア研究所等の勤務をへて、1989年「CGアニメコンテスト」を創設し、1993年株式会社ドーガを設立しています(代表取締役)。
 最近映画でもSFX(特殊効果)や完全なCGの導入が著しいですね。ハリウッドの映画では、何百人も動員して何十億もかけた作品など、投入資源の多さがますます誇られるようになってきています。しかし、全く逆の方向も存在するのです。よく、IT技術の急速な進歩によって、パーソナルコンピュータがかつてのスーパーコンピュータと同等の能力をもったといいますが、特にグラフィック能力の向上が著しく、パソコン上のソフトを使って、すなわち個人ベースでも、相当本格的なCGアニメが作れるようになっているのです。この新しい逆の可能性を「パーソナルCGアニメーション」といい、ドーガが開拓した分野なのです。同じジャンルで有名なのが深海誠氏の「ほしのこえ」という作品で、関連分野含めて8億円を売り上げました。
 実際にドーガのソフトをさわってみるとその仕掛けがよくわかるのですが、要するにプラモデルの発想で、グラフィックの基本パーツをかなり用意しており、ユーザはそれを組み立てればよいのです。宇宙船の羽や胴体をパソコン画面上で選択すれば数秒で自分のオリジナルなものができ、土星の輪のそばをかすめるような背景を選択して出発点と到着点を指定すれば、滑っていくような軌道を自動的に計算して、CGアニメのワンシーンができあがってしまうのです。ドーガのオリジナリティは、技術の進歩によって、ますます専門家のみの発展を指向する方向にいくだけでなく、より身近に、若者の創造性が発揮できる場を作り出そうとする方向があることを教えてくれるのです。
 このように彼の発想の中心は若者のコラボレーションにあります。1999年には、CGアニメという分野を社会に広めることを目的として、CGアニメ作家ネットワークを設立、以後事務局代表、2002年の「東京国際アニメフェア」で審査委員もつとめました。2005年、大阪市・府などが支援するコンテンツ産業育成プロジェクト「デジタルときわ荘」計画も提唱、2006年には、日本橋に「CGアニメ村」(村長は佐々木義之氏)を立ち上げるなど、その活動はますます盛んです。
4.北区および周辺の創造的な街区
【例3】アーティストとのコラボレーション−中津商店街
 中津商店街は、阪急中津駅北に位置する全長約100mの商店街です。かつては中津の台所といわれましたが、近年では「しもた屋」ができ、営業店は減少していました(以下牛場2006による)。
 こうした問題に最も危機感を抱いていたのが商店街の小田晶史氏です。氏は、明治期から続く和菓子店「広喜堂」の四代目店主(50代後半)で、大学卒業後、家業を継ぎ、1985年年ごろから積極的に商店街活動を展開してきました。小田氏は長年の商店街活動を続ける中、従来のチラシ作りによる特売、バザーなどの集客イベントに限界を感じていたのです。
 そのときに出会ったのが、後述の西尾氏です。氏はMSIという音響会社を25年間経営し、音響関係の実績としては、東京では中島美嘉・ポルノグラフティ・エアロスミス、大阪ではFM802主催のミーツ・ザ・ワールド、MBS主催のオーサカキング、またJAL後援の音舞台と多彩に渡っています。その氏が中津に着目したのが2003年ごろでした
 西尾氏は「オリジナルを作りたい、若いアーティストを応援したい」という思いから、ライブハウス兼ギャラリーの「Vi−code」を2003年に阪急中津駅架下に出しました。氏は、大阪府職員の藤井薫氏が主催する「水都の会」のメンバーでもあり、その会議上、2004年に、葦舟を作る計画が持ちかけられたのです。そこで、葦舟を中津〜十三間で運行する事に加えて、音楽、フリーマーケットを融合した「中津まつり」のコンセプトが生まれたのです。西尾氏が中津商店街に協力を求め「広喜堂」を訪ねてきたことから、小田氏との連携が生まれました。丁度、商店街の決算時期とも重なったので商店街の会合に西尾氏を招き、趣旨説明をしてもらったところ、会員の賛同が得られ、「Vi−code」と中津商店街との協働が開始されました(牛場2006)。
 西尾氏は、2店舗目である「アートカクテル」を「Vi−code」と同じく阪急中津駅高架下に開業しました。アートカクテルはレンタルボックス・パレットの店でありボックスは貸し出し用です。このように、キーパーソン西尾氏と地元の若旦那とのコラボレーションが中津を変えつつあるのです。
 なお、このほか、中津の阪急線のガード下には、(有)ワン・ワールド・ジャパン(代表仲風見氏)の計画するピエロハーバー計画も進んでいます(以下、古賀2004による)。この場所は、もともと「三共リース株式会社」が保有している倉庫でしたが、近年は駐車場としか使われておらず、ほとんど有休地となっていました。ここに尼崎在住の演出家であり、主催会社社長の氏が目をつけ、オーナーに提案、文化人が民間運営で行う「小劇場、ライブハウス、フリーマーケット等を併設した賑わい空間(ピエロハーバー)造り」をおこなうという、5ヵ年の中津アートインキュベーション構想を推進しつつあります。初期事業として2004 年4月より文化団体が利用できる小劇場「中津シュガータウン」を設立しています(古賀2004)。
 このように、地元とアーティストプロデューサーのいろいろなコラボレーションによって、中津はアート活動のまちに変わろうとしているのです。

【例4】専門家の知恵で商店街活性化−福島聖天通商店街
 北区に隣接するJR福島駅を下りて北西の聖天さんにいく福島聖天通商店街もまた、昭和初期には大阪市内の13大商店街の一つに数えられていました(牛場2006)。その後、西梅田の開発もあり、停滞期にありましたが、現在は新しいアイデアで再生を図っている商店街としてよく知られています(以下牛場2006による)。
 キーパーソンは、地元の商店主としては「インテリ」に属する商店会副理事長の草野則一氏です。氏は、商店街入り口近くのテーラー(紳士服)店の三代目でいわゆる老舗の若旦那でしたが、旧泰然とした商店街の体質に疑問を感じイノベーションを求め続けてきた異例の人物です(若いころから商店街の青年部を組織して改革を図ってきたということ)。2000年に大阪市経済局の「地域商業活性化コーディネイト事業」にあたったころから「商店街の個性とはなにか」という課題に直面した氏の頭に浮かんだのが、夏祭り(「夏の風物詩」)での経験でした。1995年ごろからメンバーの喫茶店経営者が自分の趣味で始めた「占いの店」が大人気であり、これに着目して、商店街の個性として利用することに決めたのです。
 まず、「夏の風物詩」で、店を出すことになりましたが、直接大きな団体に交渉することをさけて、ITを利用して直接鑑定士と連絡を取る方法を模索したのです。ホームページをもっている意欲的な鑑定士に直接コンタクトをとり多くの鑑定士を効率良く集めることに成功しました。このように、現在商店街活性化の例として有名になった福島の成功の本質は、外部の専門家集団との良好なコラボレーションの構築にあったといえます。
 広告費用も雑誌などを使うと経費が大きくかかるため、事前の告知は口コミと外部コンサルトの仲介で毎日新聞の当日の夕刊に掲載された程度でしたが、大変な集客効果があり、当初の開始時間を前倒しで始めました。結局、各鑑定士は終電時まで、ほとんど休憩できないほど占い続け、第1回目で合計延べ780人も来ました。この成功を機に、次週から毎週金曜日を「占い」の日と定め、草野氏(副理事長)と山崎氏(理事長、花屋店経営)が所有している空き店舗を使った営業が始まったのです。当初、2店舗で開始した「占い」でしたが、現在では、商店街が借り上げた空き店舗2軒を含めた7軒に発展しています。

【例5】アートが集積する奇跡のまち−老松西天満地域
 天満地域は、古くは太融寺の寺内町であり、近世の「大阪三郷」が「北組」「南組」「天満組」であったことからもわかるように北区で最も古い街区です。江戸時代の中頃までの街区は寺町以南であり、東海道・山陽道をへて他の地方から大阪に入る旅人は、北野村から曽根崎天神の横を通り、老松通りから天満宮に向いました。老松通りは天神の表参道であり、大阪の表玄関だったのです(田中2006による)。
 現在老松町には、古美術、ギャラリー(現代画廊販売、貸し画廊)などのアート関係店舗があわせて80軒前後集積していることで知られています。東京や京都にはこのような街が多く、みな瀟洒で繁華な街となっていますが、大阪では現在ここが代表例で、その意味で奇跡の街といえるでしょう。
 この集積については地元のまちづくりを組織する筆者の一人(田中)によって研究されており、大正・昭和(戦前)ごろからと思われます。今では区別出来ないが、元来古美術店とは、「古美術商」「茶道具商」「鑑賞用の道具商」の3種類に分かれていたと言われており、その様な形態から移行してきたものと考えられます。
 集積のイニシエーターとしては、東洋陶磁美術館(安宅コレクション)・出光美術館など多くの美術館設立にも深く関わり、大阪だけでなく、古美術の世界では無視できない存在であった「平野古陶軒」(現在は弟子筋の和泉玉箒堂が立地)がいました。旧大阪市東区(現中央区)平野町で開業していましたが、戦災で焼け出され、1947年に老松町に移ったのです。この弟子筋などがいわゆる暖簾系の店舗になります。平野古陶軒をイニシエーターとすると、1979年に開店した「梅田グランドギャラリー」や1962年に開業した貸し画廊の「大阪現代画廊」などがプロモーターであり、以後自主独立系のアート関連店舗集積が活発化しました。すなわち1982年頃より暖簾系のネットワークにより店舗数が増え、1989年頃より、自主独立系も含めて集積数が増大したといえます(田中2006、注1)。
 ところで、都市を活性化しにぎわいをもたらすものとして、世界中の都市で、アートの効果が重要視されるようになってきています(創造都市の理論)。一方、扇町創造村構想でもわかるように、大阪市北区は、大阪市内でも、デザインやアート系の業種の半数近くが集積しているという注目すべき地域です。中でも、老松・西天満地域は、大阪では他に例のないアートの集積のある老松通りを中心とした地区をもち、アートを切り口とした都市活性化の可能性をもっとも秘めている地域なのです。また、東部の中心の一つである天神地域でも落語小屋の計画が進みつつあり、北区の2大中心である大阪駅前地域と天神地域を結ぶ要衝にあり、天神の表参道でもあった同地域に注目があつまりつつあります。一方で、土地利用が不安定化し、個性的な町並みが失われかけているという微妙な状況もでてきています。そこで、扇町創造村構想とともに、いま、老松西天満アートストリート構想というアイデアが進みつつあるのです。
5.老松西天満アートストリート構想とは
 実は、有名なアートの町である老松・西天満地域も、これまで「古美術」「ギャラリー」「町内会」などの各主体はほとんど交流がありませんでした(イベントは古美術中心だった)。そこで、「老松西天満アートストリート構想」(注2)を策定、それにより、はじめて、古美術・ギャラリー・地域関係者・大学等専門家(大阪市立大や大阪芸術大)による横断的な組織「老松西天満アートストリート会議」を立ち上げることになったのです。老松・西天満地域をアートをテーマとして活性化するこの「老松西天満アートストリート構想」のもとで、様々な試みが展開されつつあります。
 目下、大阪芸術大学、地元の西天満小学校、北区の教育機関キッズプラザなどとも連携し、アーティスト、大学生、小学生、先生方などの七夕アート作品を展示する「七夕アートストリート祭り」の「七夕アートコンテスト」を企画し進めています。これは、地域のプレイヤー同士が合同して地域活性化について考える初めての試みであり、その精神はアートをテーマにしたコラボレーションにあるのです。
【図2】
6.大阪のコラボレーション・イノベーション拠点・・・北区地域
 このように、北区およびその周辺には、創造的活動や創造的街区の例が沢山あります。しかし、そこでは、いろいろな異質な要素を組み合わせたり、結びつけたりすることによるコラボレーションが大きな力となっていることが大きな特徴となっているのです。このようなコラボレーションが起こりうるのも、北区に開放的な土地柄とネットワーク(ソーシャル・キャピタル)があるからで、閉鎖的な地域性では難しいことではないかと思われます(小長谷・北田・牛場2006)。
【注】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(注1)田中(2006)は、古美術商のような専門店が集積する動機としては、
 〔動機1〕顧客要因(川下要因・見回り行動型要因)、
 〔動機2〕仕入側要因(川上要因)、
 〔動機3〕イメージ形成要因(集客認知要因、静寂さ志向要因)、
 〔動機4〕人間的ネットワーク要因(弟子筋・イニシエーター要因)、
などがあることを解明しています。初期段階においては、〔動機2〕や〔動機4〕のような(川上要因の)人間関係のファクターが重要であるが、ある程度集積し始めた中期段階以降は、〔動機1〕や〔動機3〕のような(川下要因の)顧客側の要因の重要度が高まってくると考えられます。古美術店の商売とは、真贋を鑑定する能力が必然的に求められ、結果として「店主に客が付く(一種の「情報交換サービス業」)」ことになるからです。同業種の店が集まる事に対してのデメリットが少なく、情報のやりとりによるメリットのみ多いので、このような成立過程になると考えられます。
(注2)「老松西天満アートストリート構想」(平成17年度大阪市北区商業活性化協会商店街調査研究採択事業)とは、(1)(アートストリート祭りの企画・運営)老松西天満をアートで活性化するための総合的なアートイベントを企画・運営する。(2)(アートストリートとしてのインフラ整備「天神表参道復活計画」)老松町などの街路を、梅田駅前から、天神までそぞろ歩きできる大人の町として、街路を整備する以下のような検討を行う。1)電柱の地中化、2)西天満4丁目〜1丁目の街路の統一的なイメージ造り、3)灯籠などの整備。(3)(アートストリートとしてのプロモーション)「老松西天満アートストリート構想」のためのウェブサイトの立ち上げと運営。(4)その他、アートをテーマとした老松西天満地域活性化の方策の検討と実行。(5)こうした構想推進を行うための調査・研究を、大阪市立大学大学院・創造都市研究科の協力を得て、行う。1)財団法人大阪市北区商業活性化協会と大阪市立大学創造都市研究科の間の連携協定に基づき、地元町会および当会議より、「老松西天満アートストリート構想」の調査研究を申請し、立ち上げる。2)上記(1)〜(4)についても、大阪市立大学大学院創造都市研究科との協力のもとに進める。特に研究成果を公表し、「アートストリート」としてプロモーションするウェブサイトを、地元商店会、古美術、ギャラリー等の連合で立ち上げる。
【参考文献】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 アートのまちづくり研究会編(2004)『アート拠点調査』創造都市研究科。
 アートのまちづくり研究会編(2005)『アート拠点調査U』創造都市研究科。
 牛場智(2006)「都市型商店街の新しい潮流とまちづくり〜ソーシャル・キャピタルと経営技術の観点から〜」(創造都市研究科都市政策専攻修士論文)。
 古賀章一(2004)「中津アートインキュベーション構想「ピエロハーバー造り」に基づく初期事業」『アート拠点調査』創造都市研究科。
 小長谷一之・北田暁美・牛場智(2006)「まちづくりとソーシャル・キャピタル」『創造都市研究』創刊号。
 小長谷一之(2005)『都市経済再生のまちづくり』古今書院。
 小長谷一之(2005)『コンバージョン、SOHOによる地域再生』学芸出版社。
 新産業創造都市研究会編(2006)『新産業創造都市研究会報告書』創造都市研究科。
 田中登(2006)「専門性の高い同業種集積についての研究−老松町古美術街を例にとって−」(創造都市研究科都市政策専攻修士論文)。
 中津アートカクテルサイト: http://www.art-cocktail.net/
 福島聖天通商店街サイト: http://www.uretemouranai.com/
 扇町創造村サイト: http://www.creativevillage.jp/ (終了)
 老松西天満アートストリートサイト: アートストリート



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